パプリカ・幻魔大戦・ヴェーダンタ
筒井康隆のこの小説、ずいぶん前に読んだ記憶があるのだけど映像化されているのを改めて観て
やっぱ天才だわこの人
ヴェーダンタではこの世は幻(マーヤー)であると言われています。
「夢は夢であり現実もまた夢である」とでもいうような感じです。
パプリカとは他人の夢の中に入り込み、その夢を共有することでその人の無意識から発する問題を解決する「夢探偵」の名前です。
この夢に入り込むための装置はまだ研究途中であり悪用されたら他人の精神を崩壊させることすら可能なのです。
この装置を開発する研究所の所長が最初に精神攻撃に倒れ、発明した天才科学者も敵の夢に捕らわれる。
そして夢世界の暴動が現実世界に流れ込み夢世界を支配する人物が現実世界をも支配する、どうするパプリカ!
この話の中で「まるで意識そのものが連れ去られた」という台詞があります。
ヴェーダンタでは意識がなくなることはありません。
眠っているあいだの記憶がなくなるだけで意識はそこにある。というのです。
この部分でおいらはちょっと考え込んでしまいました。
夢を見ているのは『何者なのか』
意識(self:真実在:sat)が見ているのか脳という肉体期間が見ているのか?
いくら考えてもわからないんですけどね(^^;
ラマナマハリシなら「『誰が見ているか』という考えを考えるということ自体がエゴである」
とでも言われてしまいそうです。
でもって印度哲学をもう少しひもといてみると、この宇宙は「創造・維持・破壊」のサイクルからなりたっています。
創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァですね。
この世に誕生し、生き、死んでいくといってもいい
死や破壊をおそれるのではなく、その先に再生があり誕生・維持というサイクルがある。
破壊神「幻魔」の存在をを小学生の時に知って破壊のための破壊、救いのない破壊というものに絶望を覚えたものです。
失望であれば再度希望をもつこともできるのですが、地球の超能力者による救いはありえないことがわかってしまった以上望みが絶たれたのです。
まぁ漫画の中の話を小学生が頭の中でこねくりまわしていただけなんですけど
。
年月は流れ「新幻魔大戦」「小説版幻魔大戦」「真幻魔大戦」と読み続けて破壊のための破壊神へのリアリティはさらに強くなりました。
# 最新の続編では幻魔も卑小な存在になってしまったようで興ざめですが(^^;
この宇宙は「創造・維持・破壊」のサイクルからなりたっている。
ならば破壊のエネルギーに逆らうのは滅びの美学かもしれないけれど宇宙の法則(ダルマ)には逆らうことなのですね。
あるがままを受け入れるヨーガ的な生き方をするのならドラマにならねーぢゃん(笑)
やっぱりこの世は聖人ばかりにはならないってことですね。
# 長文の割に中身がなくてごめんね
| 固定リンク











コメント
「砲台山」では、各作品の世界を渡り歩く四騎忍(=平井和正)の主観では、「幻魔が存在しない世界」というのもあるようなんで、「幻魔が卑小である世界」もありなんだろう、と(実際の新作の内容がそうであるかどうかは別にして)思っています。興味がわくわけじゃありませんが(^-^;)。
もう少し年齢がいったら、ゲーテあたりに挑戦してみるのも良いかなと思っていますが……小説読みとしては。
投稿: あめんほてっぷ | 2008年8月17日 (日) 07時13分
フィクションの世界では強敵がいてこそお話がもりあがるわけで平和な世界に超人ばかりいても宝の持ち腐れです。
そういう意味では凡人の日常に潜むドラマをきっちり鑑賞に堪える作品に仕上げる作家というのも凄い才能ですね。
投稿: おみゃー | 2008年8月17日 (日) 14時45分