2021年3月21日 (日)

ヨーガを学ぶ講座20時間

ちょっと濃密でマニアックな座学を開催する事になりました。
今まで貯め込んできたアレやこれやをドーンとアウトプットしていこうと思います。
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2021年
ヨーガを学ぶ講座20時間(4時間×5日) オンライン参加もOK(録画視聴有り)
 
『苦しまなくってよかったんだ!』
 インダス文明の昔から人々は望みが叶わなかったり、思い通りにいかないことに苦しんで来ました。
お釈迦様も王子として生まれたにもかかわらず、何不自由のない暮らしを捨てて極端な断食や苦行までして心の平安を求めました。
 現代の私達が行なっているヨーガも、元々は「何で苦しまなければならないのだろう?」「この世界は苦しむために在るのだろうか?」という疑問を解決するための手段のひとつでした。身体を動かして身心のデトックスをした気分になるのもヨーガの側面の一つですが、インドでは遙かな昔から苦しみの理由やそこから抜け出す方法を伝えてきた人々が居ます。それが今でも続くバラモンと云われるカーストの人々です。
 この講座ではバラモンが伝えてきたヴェーダの世界やそこから展開して世界宗教となった佛教、さらにインドで佛教滅亡後に保守本流となったヴェーダーンタ、更にはヒンドゥ教の異端と呼ばれるハタヨーガまで、その歴史や実践方法を通じて仏教で言う『抜苦与楽』の考え方をお伝えします。
 
 
【日程】
 
①ヨーガの歴史 5月16日(日)13:00−17:00
私達が普段接しているハタヨーガは現代の印度哲学の保守本流であるヴェーダーンタとは”水と油”というほど異なる背景を持っています。このためリシケシ等のヴェーダーンタを教えるスワミはハタヨーガのことを知らずに批判し、ヨーガ・スートラもそちら側の視点で解釈して説明するのでピントのズレたものになりがちです。
この講座でインダス文明以降、現代までにどのような哲学が興りそれが日本文化にどのような影響を与えたかを考えてみます。
 
②ヨーガの種類 5月30日(日)13:00−17:00
アーサナのスタイルや創始者の違いによる区分けではなく、ハタ、バクティ、ジュニャーナ、カルマ、ラージャ等々の本来の意味についての説明と20世紀に西洋で爆発的に増えた欧米発祥YOGAについて説明します。
 
③ヨーガスートラ概要 6月6日(日)13:00−17:00
ヨーガ・スートラはジャイナ教や佛教の出家修行者向けの教えが骨格なので現代主流のヴェーダーンタの文脈ではなく、本来のサーンキャ哲学の考え方や佛教的な説明が必要です。佛教が身近にある私達のような日本の在家ヨーガ実践者にとってヨーガ・スートラの基本的な概念は人生の指針になるでしょう。
 
④ ハタヨーガの理論前編 6月20日(日)13:00−17:00
ハタヨーガとは本来どの様な意味で、誰が行なっていたのでしょう。それを知れば身体を動かすことがハタヨーガだとは言えなくなります。またプラーナと氣の違いについても説明します。
 
⑤ ハタヨーガの理論後編 6月27 日(日)13:00−17:00
ハタヨーガの聖典といわれる幾つかの書物に書かれたアーサナやプラーナーヤーマは現代の私達が知るものとは異なっています。イダーやピンガラーは螺旋を描くのか直進するのか、チャクラの位置や数も資料によって違う等、流派の違い(聖典の違い)による取り組み方の違いを説明します。
 
【会場】
湘南シャイズヨガスタジオ 上前津校( 名古屋市中区上前津1-12-28)
お申し込み方法  メールにて info@shounan-shyz.com
講座参加費 45.000 円 早割40,000 円(4/16 までのお申し込み)
お振込先  三菱東京 UFJ 銀行 上前津支店 普通 1619344 名義人  小原節子
お申し込み締切  2021 年5 月9 日( 日) ※最低遂行人数3名

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2020年5月11日 (月)

鬼滅のシャタカン

「鬼滅の刃」が雑誌連載ではクライマックスを迎えています。
これで終わるんですか?続編が描かれるんですか?
来週が待ち遠しいですね。
 
知らない人のために主人公が鬼と戦うための技(のキーワード)を紹介しておきます。
◆全集中
◆水の呼吸(いくつかの呼吸法があり、呼吸を使って技や奥義を繰り出します)
◆壱ノ型(弐ノ型、参ノ型、、、)
 
もうね小学生男子は掃除の時間になると箒を振り回して
「全集中 水の呼吸 弐ノ型 水車(みずぐるま)!」
とか叫びながらグルグル廻って女子から白い眼で見られるのが目に浮かびます。
 
 
話は全く変わりますが暇に飽かせて『ゴーラクシャかく語りき 文法の巻』(ゴーラクシャシャタカ)を読み直しています。
デーバナーガリー文字の読み書きが出来るようになって、文法に進みたいのですが教科書を読んでも理解できない。
単語と単語を続ける時に連声が起き、その基本形は~ とかは理解できても文章から連声を見分けて単語に分解し、その元となった語を解読して意味の通った日本語にするスキルを身につけるにはまだまだ遠い道のりが必要で、まずは語彙を増やすこととサンスクリットの原文に慣れること。を目標としました。
 
『ゴーラクシャシャタカ』とはハタヨーガの開祖、ゴーラクシャナータによる百の教説とでも呼ぶような代物で、後のハタヨーガ文献の基礎となった物です。
ハタヨーガの6支則(パタンジャリ・ヨーガスートラの8支則から最初の2つを削ったもの)が100の短文で記述されています。
840万種のアーサナ、7万2千本のナーディの全てを記述するには100の短文では不可能ですが主要ないくつかは選択して載っています。
月の呼吸や太陽の呼吸は載っていますが、鬼滅の刃に出てくる水の呼吸、花の呼吸、蟲の呼吸、蛇の呼吸、炎の呼吸、恋の呼吸、岩の呼吸、風の呼吸、霞の呼吸、雷の呼吸、音の呼吸、獣の呼吸は名前すらありません。
ところがプラーナーヤーマの説明よりもダーラナ(集中)の部分を読むと、五元素への集中方法がまさに鬼滅の刃的な文字の並びではありませんか🤣
◆地の集中、四角の型、心臓にल (Laの文字)黄色
◆水の集中、三日月の型、喉にव (Vaの文字)白色
◆火の集中、三角の型、上顎にर (R の文字)赤色
◆風の集中、円形の型、眉間にय (Yaの文字)黒色
◆空の集中、平安の型、頭頂にह (Haの文字)透明な水
 
オラ、わくわくしっぱなしだぞ(笑)
 
※ちなみにチャクラの説明は別にプラティヤーハーラで記述されています。

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2019年9月29日 (日)

「ラダック~天空曼荼羅の旅」おまけ

 エアーインディアの機内食、最初の穴子丼以外、必ずトマトケチャップが付いてきた。お陰でこの手のケチャップを見ると猫にチュール、馬の眼に人参というパブロフの犬みたいにケチャップ大好😍きになってしまった。

Img_0835_20190929195301成田発デリー行き、謎の丼飯

Img_0838_20190929203101 成田発デリー行き、軽食
Img_0862_20190929203101 デリー発レー行き、軽食

Img_2442 レー発デリー行き 軽食

Img_2528 デリー発成田行き、カレー

Img_2532 デリー発成田行き、朝食

 


 出発前の荷造り中にノートパソコンを机から落下させた。丁度その床には俺の足があった。エッジの部分が指の付け根にヒットして暫く呻いていたが、ラダックにいるあいだはなんともなかった。が~、成田に着いたらやたらと痛い。医者に行ったらヒビが入っているとのこと。二週間近く平気だったのならということで痛み止めを貰った。ラダックでヒャッホーしてる時はよっぽど楽しかったんだね。

 

おしまい。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第8日(2019.08.31)デリー、成田

 朝5時に起きてアーサナ、プラーナーヤーマ。結局1日も欠かさず続けることが出来た。


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 空路、ヒマラヤを超えてデリーへ。夏休み最後の日を迎えた気分。(切ない、さみしい、そして悲しい♫セレナーデ)
 デリーでは旅行社がチャーターしていた現地ガイドと別のガイドと間違えて、バス乗り場まで行ってから間違いに気づく!というハプニングもあって結局デリーの国立博物館へは行かず、ツアー客が連れて行かれるチャイニーズ・ジャパニーズレストランで遅めの昼食。

 

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 出てきた料理は「日本食と言われたらブチ切れるけど無国籍料理と言われたら食べられるレベル」何が悲しくて明日には本物の日本料理が食べられるのに、こんなものを食わせられるんだ、インド料理の方がよっぽど喰いたいわ!
 お次は定番の土産物屋。つまらない物がぼったくり価格で並んでいる。唯一良かったのがクーラーが効いていて涼しいこと。(さっきまでヒマラヤの麓に居たのだからデリーの蒸し暑さにはウンザリしていた)

 

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 それでも退屈なので店を出て近所を散歩。ガード下の庶民がたむろしているような場所やら、公民館的な集会所から出てくる少女達とか、やっと埃っぽいインドの一画に出てきた。
 歩道の一部に屋根が作られていて神様が祀られている。お地蔵様の祠のように地元の人が礼拝したりプージャしている姿をよく見かけた。
 空港のアイスクリームショップでは釣り銭を誤魔化されそうになった。店員は「バレたか」くらいのノリで差額をよこした。インドではこんなこと当たり前なのかな?

 

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  空港のラウンジ。軽食といいながらラダックの夕食程度の品数が有るし、バーカウンターでは簡単なカクテルも出すようだった。何品も食べて最後に中華麺を食べたが高度4千mの料理との違いがわからない😂
 デリー空港は高度11727m?空を飛ぶと0ftだった。窓際にはうざいインド人🤣いよいよ来た~~~、ウザイよ うざいよ。あなたはどこからきましたか?どこへいきましたか?機内食食べませんか?これはこうやって食べますね。シートのモニタが反応しませんか?壊れてますか?叩きますね!(おもいっきりバンバン叩く)いやいや前席のおっさんが俺の方を見て睨んだやろ。やめてくれ~~、足も臭いし、オマケに成田から東京駅までのパスまで一緒だよ。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第7日(2019.08.30)ヘミス、ティクセ

 明け方は雲が多い。結局真っ青な湖面は二度とお目にかかれなかった。

 

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 どう見てもダニに襲われる人の図、本当は何を意味しているのだろう?

 

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 みんな大好き、ヒマラヤンマーモット。最初は我々だけだったのが知らないうちに他の観光客まで寄ってきていた。
 ヌーの群れ。結局一度も触れなかった。
 こっちはヌーと牛の混血のゾだと思う。フンは燃料はもとより壁に塗ったり石垣を纏めたりするときの接着剤代わりに使われる。
 道は横を見ると今にも転げ落ちそうな岩が張り出している。実際3mから5mの落石はゴロゴロしていた。崖下には黒焦げの車の残骸もあったし崖の途中で引っかかっている車もあった。

 

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 真冬の峠5375mを超える。ここは昼間でも寒かった。太陽が見えないだけで体感温度が二十度は違う。そして何故かシヴァ寺院。タルチョ(チベット佛教の旗)があっても佛像は無い。シヴァの絵ばかりだ。

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 ヘミス僧院3688m、ここの博物館には骨エプロンが有る。単に骨を繋いだだけでなく細かい彫刻やビーズ状の粒を繋いだり、人骨と言われなければ普通に美術品のようだ。

 

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 ティクセ僧院3346m、僧と尼僧が住んでいるそうだが尼さんは見ることが無かった。ここは門の天井に曼荼羅が描かれている。ラダックでは珍しい(旅のあいだ天井はよく見上げていたが建物の中でも天井絵は少なかった、見た中では門はここだけ)

 巨大なチャンバ(弥勒菩薩)。冠に五佛が描かれている。赤=阿弥陀如来、白=大日如来、青=阿閦如来。黄=宝生如来、緑=不空成就如来。

 上階奥のGONKHANGゴンカン(護法堂)にはお顔に布をかけられた秘仏が並ぶ。(直接眼にすると強すぎる力を遮るため、力の弱い参拝者を守るため等といわれている)しかも至近距離というか触れられる。実際お布施が帯に挟んである。ドクロ💀のネックレスがチャーミング😁というかどの佛像も髑髏☠️付きだった。でも顔を描いた絵が並んでいる(なんか可愛い)

 

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 他の部屋では皮を剥いだ人間やら動物を干している絵とかその皮を纏った仏画とかが並んでいる。下の方には腹を減らした獣たちが待ち構えている。(ブッダの前世で自分の身体を他者に布施した物語に準じているのだろうか)最初の頃はおどろおどろしい絵を不気味に感じたが今では当たり前になってしまった。

 壁も崩れるにまかせているので勿体ない。壁画の上に板やらなにやらを平気で立て掛けてある。ラダック・ゲルク派最大の僧院でさえこうなのだからいつか時の流れにうずもれるのもそう遠くない未来かもしれない。

 

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チティパティ(屍陀林王)「墓場の主」「墓場の守護神」名前だけでワクワクする俺は変態だ(笑)「尸林の王」だぜ、「尸林のダーキニー」が男性ヨーガ行者を指導した墓場の魔女なら、そのパートナーとして成就した男のことではないか。この骸骨君、見かけによらない大物だったのね。
なお伝説によると、生前は苦行者で泥棒に首をはねられても瞑想を続けていたそうだ。

 

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 ラダック最後の夕べ、マーケットに繰り出す。自分用のお土産に千手観音像と真鍮ケース入りのティンシャ、それに画集を購入。およそ一万円也
 街には八百屋果物屋が軒を並べていて必ずバナナがぶら下がっている。
 モスク🕌から大音量が流れてきたので行ってみたが、このモスクはクローズで残念。丘の上のもう一つのモスク🕌まで行く元気はなかった。今考えると旅の醍醐味を無駄にしてしまった💦
 遠くに見える電飾で飾られた仏塔らしきものはシャンティ・ストゥーパ、いろんな噂の有る日本人僧侶の中村行明氏が建てたもの。派手な電飾ってだけで近寄ってお参りしたいとは思わなかった。モスクとは真逆の感想(笑)

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第6日(2019.08.29)パンゴン・ツオ

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 早朝3時頃の空、夕食後の空は雲が多かったが今は快晴のようだ。

 朝6時頃には怪しいヨガの一団が現れた。同宿の西洋人も物珍しそうに彼らを撮影していた😁

 今回の旅で唯一の1人部屋、でもベッドはダブル。テントのくせに洗面所とウォッシュルームは独立していた。そして洗面所の水は床に逆流するしトイレはタンクに水が溜まらない(中の風船部分がキチンと動かない)そのためタンクの蓋を開けてシャワーの水を補充するのだが、上に置いておいたトイレットペーパーをタンクに落としてしまった。😭

 近所を散策したらゲストハウスやキャンプ場の看板だらけ、急速に観光地化が始まってまずはお金をあまりかけずにテントを設営して、ある程度資金が出来たらゲストハウスに作り変えるようだ。

 

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 朝の空気が爽やかだった。泥沼も少し移動するだけでこんなに綺麗な水になる。
 北の端から南の端までインドは一つという看板
 今日はお寺には寄らず、一気に天空の湖パンゴン・ツオに向かう。写真は工事の為迂回案内だが路上の人達は交通整理などしない。彼らは日本だとパイロンとかカラーコーンの代わりという役目なのだ。(というか工事現場でカラーコーンを見ることがほとんどない)
 突如始まる大渋滞!
 道の山側を見ればいつ崩れてくるかわからないとは思っていたが、実際に土砂崩れにあって通行止めになるとは😅何日も足止め食らうコトだってあるだろうけど今回は1~2時間で通れるらしい。みんな河原で散歩したりのんびりとしている。極楽カリーのマスターは笛を聞かせてくれた。インド人も拍手喝采だった。

 

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 標高3944mの店でランチ。ただしコックはさっきまで我々の車を運転していたジローラモ(のそっくりさん)だ。ヒンディー世界では低いカーストの人間が作った料理を上位カーストの人間は口にしないが、ここはチベット文化圏だ、誰もが助け合うのが当たり前。店の人間が忙し過ぎたら助け合う。極楽カリーのマスターも厨房に入って何やら作り始めた。旅の醍醐味だ😛

 

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 山の合間に水を青々と湛えたパンゴン・ツオが見えてきた。陽の沈む直前に到着できたので大騒ぎになった。4295m空気も薄い。

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 発電機の止まる20時30分にはテントから出て星空を見上げる。が、なかなか発電機は止まらない!ダウンを着ていても寒くてかなわない。テントから毛布を引っ張り出してくる。結局発電機は23時頃に停止して闇が訪れた。
 視界の端から端まで星が見える。プラネタリウム以外では初めての体験だ。あまりに星が多くて星座も何もわからない。たまに無粋な車がハイビームで通り抜けると文明が疎ましくなる(完全に自分の事を棚に上げています)

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第5日(2019.08.28)カルドゥンラ、デスキット

Page010_20190929190501  朝5時、ホテルの門も閉まっていて散歩に行けない。明るくなると共に犬達が猛烈に鳴き始めた。散歩中にあんな吠え方されたらビビるぞ。
 ホテルの部屋の外鍵、イタズラで閂止めが出来てしまう。と心配になった。

 

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 レーの街を出てグングン高度を上げていく。レーの町並は遙か彼方に見える。千メートルも登ったら休憩地点だ。4382m
 この辺りは雲の通り道らしく雲が建物の屋根にかかっている。看板はカルドゥンラ レストランとなっているが、世界最高峰の自動車道といわれる峠(ラ)のカルドゥン・ラはまだ先だ。ここはまだ4654m

 

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 カルドゥン・ラ(公称5620m)寒い🥶万年雪の残る峠。休憩小屋で5371m、ここまで自転車で登る人もいる。
 トイレは床が水に浮いている。水ではなくて溢れ出た尿だ。自分もその溢れる水分に貢献してきた。😓

 

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 峠を越えて少し下るとラベンダーが咲いている。写真では段々畑まで下る途中の白っぽい崖に紫色の可憐な花が咲いている。峠からほんの少し下っただけなのにダウンを着ていると暑いくらいだ。
 ランチのお店。腹具合がヤバそうな気配を感じていたのでベジスープを注文したらミックスベジタブルをマギーブイヨンに浮かせたものが出てきた。せめて愛情のひとかけらでも入れてほしかった😢

 ヌプラ谷、インダス川の灰色は細かい砂が溶け込んだ色だが、その灰色の砂は河口に広がって泥沼のようになっている。

 

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 泥沼の丘の向こうにディスキット僧院が現れる。ここは僧房が幾重にも重なった複雑な迷路状の僧院だ。普通に参道を通れば只の僧院だが細い路地に迷い込むと断崖絶壁に寄り添うように僧房が立ち並ぶ。僧房は日本間だと三畳から四畳半程度の大きさに見える。トイレは共同。崖に流れる水に流れ込むのだろうか。
 お堂の中の佛画は壁画ではなく掛軸が多い。壁画だと修復するのが大変だが掛軸なら簡単に交換できるからだろうか(勿論お堂の入り口の壁にはバヴァチャクラ(六道輪廻図)と四天王が描かれている)

看板の意味
DHUKHANG ドゥカン(勤行堂)
ZEMCHUNG
CHOKHANG チョカン(経堂)?
GONKHANG ゴンカン(護法堂)
STANGYUR LHAKHANG スタンギュール・ラカン(スタンギュールの家)?

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 エンサ僧院に併設された大仏は弥勒菩薩とされているが、普通は蓮の花を摘んでいるのは観音菩薩とされている。本当はどちらだろう?
 チャクラ(輪)のように書かれたチベット文字(オン マニ ペメ フン あるいは オンマニ パドメ フン)
 大仏の階段部分に登ったらガイドのパドマ氏に叱られた。土足禁止だそうだ。
 大仏の立つ高台から砂嵐が近づくのが見えた。車に戻って少し走ると砂と共に雨が襲ってきた。

 

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 今夜の宿はテント村、寒いし温水シャワーは朝少しの時間しか出ないと聞いて気分がダダ下がり。雨の中出かけて民族ダンスショーを観に行くらしいがパスしたい。
 なんだかんだで連れ出されたら”虹”、それも二重の虹🌈 急に気分が上がる😅
 虹は駱駝乗り場まで見えていた。駱駝に乗ったら完璧にアゲアゲ⤴️この時あまりの楽しさに今までのラダックの記憶が抜け落ちた🤣いいよね、楽しいんだから。
 民族ダンスは照明が故障中らしくあの手この手で灯りを点そうとするけれど、中々上手くいかず最終的にバイクの前照灯で照らすコトに💧なんというか盆踊りレベルのダンスなので焚き火の方が風情があるような‥ いや、風情はあるけどね😅

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第4日(2019.08.27)リキル、ビャン、スピトク

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 朝5時頃の空、オリオン座がはっきり見える。他の星座は見分けがつかない😅

 

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 空が白んでくると金属を擦り合わせるような音が鳴り響く。

音の方向を見ると二頭のロバがじゃれあっている。とても動物の鳴き声とは思えなかったが、後でレーの街を歩いた時に車のクラクションに負けないように啼きちらかすロバが同じような金属を擦り合わせるような声だった。
 宿の近くにはインダス川とダムが有り一日中水音が聞こえている。宿の屋上に登るとダムの放水が見える。周りは山に囲まれているので朝日は見えないが山頂に反射する光が美しい。
 このホテルには坊さんが宿泊しておりフロントに飾ってあるダライ・ラマの写真に向かってお経をあげていた。その坊さんのものと思われる洗濯物が屋上に干してある😅

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 真っ青な空とリキル僧院。金ピカなのは弥勒菩薩像。LIKER GOMPAと書いてリキル僧院。手元の高度計アプリで3746mを指している。流石に息が切れる。このお寺は建物も壁画も修復された形跡が見て取れる。資料を見るとゲルク派の総本山となっている。納得だ。
 屋根にトリシューラ(三つ叉の槍=シヴァ神の持ち物)がある。Heruka(ヘールカ)と呼ばれるチベット密教のおどろおどろしい佛達はシヴァ神の化身なのだから不思議でもなんでも無いそうだ。
 撮影禁止だったのが残念だけど、博物館には古い武器が展示されていて昔から支那、モンゴル、イスラム教徒等と戦っていた地域なのだと思いを巡らせた。

 

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 主人公は一番下の黒い象、兎や猿は修行の邪魔を表す、だんだんと上に登り最後は白い象に変わり、その時には虹に乗って自由に瞑想できるようになるらしい。

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 アメリカ大陸のような目を楽しませる物のない荒涼とした大地を通ってビャンゴンパへ、そういえはどこのお寺でも地面には絵が描かれている。インドの一般家庭では主婦がこの紋様を描くそうだがゴンパではどの立場の僧が描くのだろう?

 ブレーメンの音楽隊ではない。これも象の瞑想を表しているのだろうか?

 チャクラを挟んで両側に鹿を配置するのはチベット様式のお寺では定番だ。
 ラダックではこんな感じで作りかけなのか、将来の増築に備えているのかわからないような建物がやたら目に付いた。鉄筋がダランと垂れ下がったままの建物もあった。
 中に熱した石を入れるタイプのアイロンが無造作に置いてある。捨ててあるのか使う物なのかわからないのがいい味だ。
 ビャン僧院の内部は撮影禁止だが「柔和な仏画」と手帳にメモしてあった。

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  スピトクゴンパ、此処で初めてプージャ(お勤め)するお坊さまを見た。しばらく坊さんの横で呆け~としていたら他のみんなは何処かに消えていて焦った。😅結局今回の旅ではお勤めに参加する機会が一度もなかったので、ここでのひと時は貴重な体験だった。
 屋上は3333m、そこの建物はまだガワが完成しただけで中身はスカスカ。隣の奥には洞窟的な場所に古くからの佛像が有った。

 

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 遠く雪化粧した山々が見えるがラダック山脈なのかカラコルム山脈なのか、はたまた崑崙山脈なのかはわからない。

 レーの街のホテルに宿泊。夕食までの自由時間で女性陣はアーユルヴェーダの品々を多く取り揃えている店に群がる(笑)
 メインの商店街をそぞろ歩き。
 手前のお婆ちゃんと孫娘、伝統的なチベット装束とジャージ&スカートっぽい今風の子供。おそらく伝統文化もこの少女の時代には失われていくのだろう。
 乞食(こつじき)托鉢を行う僧。チベット佛教の僧衣はもっと褐色というかエンジ色。オレンジはヒンドゥだと思っていたけどこの人達、本当はどこの僧なんだろう。
 写真二階の本屋(LADAKH BOOK SHOP)は伊藤センセが前回8万円の本を購入した店。
 レーの宿でも標高3476mおよそ三千五百mある。散歩してもそれほど息は切れなくなってきた。
 夕食時に同行メンバーの極楽カリー店主が誕生日だということでサプライズパーティー。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第3日(2019.08.26)マンギュ、ラマユル(3)

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 マンギュ僧院への道はゴジラの背びれのような岩々を持つ山肌の狭い道を登って行く。

 

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 突如ひらけた空間が現れ、日本の田舎に共通する、緑と家畜の村の奥にマンギュ僧院(バイロチャナ寺院)が現れる。此処も風化の波に晒されているがまだ壁画がハッキリしている。アルチやラマユルより傷みは少ない。
 バイローチャナ・テンプル マンギュの看板、大乗仏教のなかでも最も汎神論的色彩の濃い,光明を属性とする仏。サンスクリットのバイローチャナVairocanaの音訳で,前接辞バイvai‐は〈広く〉の意,ローチャナの語根ルチrucは〈照らす〉の意である。略して盧遮那(るしやな)仏,意訳して光明遍照と呼ばれる。


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 曼荼羅率高し、こういう場所ではもっとゆったりとしていたいが、ツアーパックでは時間に追われてしまうのが残念だ。せっかく時を超えた世界を旅しているのに常に背後からスケジュールという名の現実が顔を覗かせる。


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 ゴンパの鍵を管理している少女。はにかみながらもモデルになってくれた。


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 お堂の中の壁画は風化が激しい。どれほど美しいものでもいつかは自然に帰るのだ。六道輪廻図には天界ですら無常の一部だと表現されている。


 
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 マンギュ僧院近くの畑。トイレを借りるために畑の脇を通らせてもらったがいろんな作物が育っていた。それぞれの説明も聞いたけど既に記憶の彼方💦
 トイレは穴が空いているだけ。使用後は砂を落としておく。紙は穴に落とさず箱に捨てる。穴の下は空洞、というか多分最初に大きな穴を掘ってその上に板を渡し、土を盛っていると思われる。ちなみに男性が小をするときは逸物を取り出してしゃがんで用を足すそうだ。
 この村は石畳が美しく水路もしっかりしていて安らげる土地だった。


 
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 アルチの宿に戻り近所を散策していると牛さんが歩いているので付いて行ってみた。広場に出ると二頭の牛がいて、先程の牛が何やら訴えているようだ。すると三頭揃ってもと来た道を引き返して行く。最初の牛はお迎えだったようだ😁

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第3日(2019.08.26)マンギュ、ラマユル(2)

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 軍が管理するチェックポイント、観光客の車目当てに現地の女性が物売りに来る。極楽カリーの店主が生の杏を購入。車内でご相伴にあずかる。旨し!
 
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 ランチは街道沿いのレストラン。スープ類はマギー(ブイヨン)率高し、マギーはラダック中の全てのランチで高かった。
 
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 現地の八百屋兼果物屋でお買い物。写真は生の杏を物色するガイドのパドマパ(緑の服)と店の親父(白シャツ)。我々が杏やらオイルやらを大量に購入したのできっとホクホクだろう。写真手前には人参みたいだがあちらで食べた記憶が無いぞ、パドマパは観光客を連れてきた報酬として杏をポケットにたっぷり詰め込んでいた。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第3日(2019.08.26)マンギュ、ラマユル(1)

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 夜明けは山に朝陽が反射する。


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青空の左上の光は雲に掛かる月。
 
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 夜明けと共に何人かが起きだして簡単なアーサナとプラーナーヤーマ。三千m級地点でも階段を登ったりすると息が切れるがバストリカを繰り返すことで少しは呼吸が楽になる(ような気がする😅)


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 蜂さんがなんだか可愛い。


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 朝食に付いたバナナとリンゴ。リンゴは杏と同じくらいの小粒だけどきちんと甘みと酸味を備えた懐かしい味がした。


 
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 4100mに建つラマユル僧院。崖に沿うように、あるいは貼りつくように建ち並ぶが近づくとここも風化が激しい。メインとなる本堂あたりは人の手が入っているようだが周りの僧堂らしきものは数十年或いは数百年の単位で風雨にさらされているようだ。

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第2日(2019.08.25)レー、アルチ

 6時45分のエアーインディアでヒマラヤ山脈を飛び越えレーに向かう。

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Img_0862 機内食で簡単な朝食。実は朝5時からホテルで簡単な朝食を食べているのだが、喫茶店のモーニングレベルだったので二度目の朝食という重さは無い。
 
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Img_0883  レーに到着、いきなり標高3500mだ。天候は曇り。アーミーがあちこちに立っていて写真撮影は禁止。支那との国境が近いのだ。空港の外は撮影可、真ん中の白いレースの帽子の親父は何処の人なんだろう?
 マイクロバスと普通車に分乗してアルチへ向け出発。ものの数分で我々の直前を走っていたトラックが右折しようとして直進車と正面衝突!直進車はフロントが大破した。おそらく廃車コースだろう。おそロシアいやインディア、これからの道のりは大丈夫か😅
 
Img_0905  インダス川とザンスカール川との合流地点。濁っている方がインダス川だ。「ザンスカール」は秘境といわれるラダックでも更に秘境の地域でそちらの写真集を見ると大地と川と冬の厳しさが押し迫って来る。いつか行ってみたい場所だ。
 
Img_0917    途中のゲストハウス兼レストランで3度目の朝食😁ラダックの食事は美味しくないよ。といわれていたけれど、どれも大変美味しく頂きました。不味いのは五千mクラスなんだろうか?

Page030  アルチゴンパ(お寺)、1時から2時はお昼休みで拝観休止。なんてホワイトな職場だ😁ちなみに我々のランチはパス、流石に朝食三回は多かった。
 内部は写真撮影禁止なので看板を撮影。ラダックは基本的にチベット文化圏だがアルチはインド密教の様式を今に残す唯一のゴンパだ。佛画の特徴としてウェストのクビレと寄り目だそうだが、この画は切れ長な目が色っぽいぞ🥰そして手足の雰囲気が蟻🐜を思わせる。
 ただ、建物、壁画、佛像等を保存する!という概念が無いようで佛画も佛像も時間による劣化が激しいのが残念。日本であれば国宝級であっても此処に暮らす人達にとっては風化することが自然なのかもしれない。そういえば砂曼荼羅はあれ程美しい完成品をあっという間に崩してしまう。諸行無常は当たり前に受け入れているのだろうか。
Page040  
 アプリコットジュース(搾りたて果汁100%)、杏はラダックの特産品で至る所で目にするがジュースにするとこんなに美味しいものだとは思わなかった。
 
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 アルチの宿。ラダックは四方を山に囲まれているので朝日も夕日も太陽と反対側の山肌が照らされる。そして陽が暮れると一気に闇が訪れる。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第1日(2019.08.24)デリー

 午前6時、西荻からタクシーで吉祥寺へ、吉祥寺から成田まではバス(3100円)。あらかじめ購入しておいたバスのチケットを忘れたと大騒ぎの姐さん。オマケにスーツケースの鍵まで壊れてる。大丈夫か😅
 
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 成田にて他のメンバーと合流、はじめましての人やお久しぶりの人等11人と添乗員1人の総勢12名。と本来同行する筈だった旅行社の社長が集まった。もう浮かれて足が地に着いていない感じ(これについては最終日に成田に到着時、明らかになったことがある💧)。既に天空を逝ってるのかも。
 
Img_0835 Img_0838  エアーインディア307便11時15分発、デリー到着17時0分の予定が一時間早く到着。エアーインディアの食事(カレー)はとっても美味しいとの噂なので期待が膨らむが、昼食は有無を言わさず日本食(フィッシュ)。おそらく穴子の蒲焼き丼(鰻との感想も聞いたけど、本当はどっちだ 笑)。オヤツにはクロワッサンとサラダとカップケーキ&ケチャップ。ケチャップは何処に使うか不明なので残す。結局カレーは食べられない!帰りに期待しよう。
 
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 デリーでのバスの出迎えは「ITO SENSEI JAPAN」の看板。そうか伊藤センセツアーだったのかと妙に納得。
 速攻でホテルに移動。途中の道路ではセンターライン部分のグリーンベルト帯でお昼寝するインド人多数。日本だとサドゥ(おウチの無い人達)くらいしかそういうことはしないけど、流石インドだ在家の人も出家の準備してる。
 
Img_0852  夕食は19時からバイキング形式、この後インド滞在中の朝夕は全部バイキングだった。コーヒーが飲みたくてもコーヒーメーカーはクローズ。軽くビールを飲むがあまり味がしない。初インドなのにインドをあまり感じない。多分ツーリスト御用達のホテルへ直行だったからなのだろう。

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」第0日(2019.08.23)渡印前日

 サハジャにて「ラダック~天空曼荼羅」の見所や歴史の説明。
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 聞いたことが全く頭に残っていないけど、なんかフムフムと聞いていたことは覚えている。大丈夫か😅
帰国してから思い返してもラダックの絵画やら地理やらが全然頭に入っていない。ただただ楽しかったことだけがサンスカーラに刻まれた。
 
 講義後、西荻でセンセとさし飲み。何年振りだろう。バリ島以来だ。この時も色々質問したが全て忘れている。大丈夫か😅
 二時間近く経ったらサハジャでのチャリヤー稽古を終えた一団と合流。しばらく飲んだ後、店を変えての飲み。俺は荷物を空港に送ってあるから大丈夫だけど、深夜一時なのにこれから荷造りするという姐さん。大丈夫か😅

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「ラダック~天空曼荼羅の旅」はじめに

 ラダックの空はあくまでも蒼く、大地は岩肌を剥き出しにした荒涼とした世界だった。
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 インドで佛教が宗教界を席捲したのち、それまで覇権を握っていたバラモン教は対抗措置として土着の宗教を取り込み、俗に言う『ヒンドゥー教』となった。
 現生利益を打ち出したヒンドゥー教と出家修行がメインの佛教では民衆の支持は、日々の暮らしをより救ってくれそうなヒンドゥー教に傾くのは当然の成り行きだろう。また西からはイスラム教徒による侵略も繰り返され、インド佛教は縮小の一途であった。
 インド佛教は13世紀に滅亡するが、それ以前の8世紀には後期密教という最終形態に変化していた。チベット佛教は佛教がインドで滅亡する前に、その法灯を継承することの出来たインド佛教(密教)直系の子孫なのだ。
 
 空海が日本に伝えた高野山の真言密教は中期密教(経典は『金剛頂経』)、インド密教の最終形態そしてチベット密教は後期密教(経典は『秘密集会タントラ』)と呼ばれる。
 秘密集会タントラとは「あらゆる秘密の真理が集められた密教経典」という教義で、その最初の言葉は「ブッダは、一切の如来たちの身・口・意 の源泉たる諸々の金剛女陰に住したもうた(ブッダは、あらゆる如来たちにとって身体・言葉・精神の源泉である複数の女性たちの性器の中に入っておられた=女性たちと性的ヨーガを行じておられた=複数の女とやりまくっていた)」というショッキングな一文から始まる。チベット密教の合体佛はこの一文を絵または仏像に表現し直したモノだ。だが比丘(男性の出家修行僧)にとって女犯は最大の戒律違反である。そのため性的パートナーを観想で創り出しイメージの世界でエネルギーの交わりというヨーガの行を表現していることになっている(と優等生的な説明をしておくことにする)。
 
 チベットの主要都市ラサは中国共産党によってチベット文化がほとんど残っていない。現在残っているのはラダック地方だけと言われている。
 ラダックはヒマラヤの向こう(裏側)という意味なのだそうだ。今は支那に支配されている『チベット』のラサから見て西にそびえるヒマラヤ山脈からさらに西の(K2で有名な)カラコルム山脈までの途中にラダック山脈やザンスカール山脈を含む、広くて高くインダス川の流れるインド北部の地域である。
 
 今回我々はチベット文化圏でもほとんど残っていない「インド密教様式」が残っているアルチ地方から旅が始まった。
 
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 参考のためチベット佛教寺院での佛像・佛画についてをメモ的に記録しておく。
 
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 まずは合体佛(歓喜佛、ヤブユム(男女合体尊)、ヘールカ尊)、性的ヨーガを行じているのであって子造りでも快楽の追求でもない。ほとんど同じように見えるポーズのホトケでも実は少しずつ異なっている。最初に見分けるポイントは肌の色だ。手の色が違うのがカーラチャクラ(時輪金剛)、生尻を見せているのがマハーマーヤ(大幻化金剛)、結合部を布や動物の皮などで隠しているのがグヒヤサマージャ(密集金剛)と、それぞれ別の佛様とされている。だが実物を見てもなかなか覚えられない。
 そもそもグヒヤサマージャとは、秘密集会タントラ(Guhyasamāja tantra)そのものを指す言葉だし、それを具現化した密集金剛(グヒヤサマージャ)という尊挌(歓喜佛)は秘密集会タントラに記載されていない。ヘールカ尊といわれるホトケも経典ごとにその姿形を変えているらしい。わかりにくいのは俺の頭が悪いせいではないと断言しておこう。
 
 『秘密集会タントラ』には二つの流派(「聖者流」と「ジュニャーナパーダ流」)があり、前者は本尊だけが性的ヨーガを行じているのに対し、後者はマンダラを構成するすべてのホトケたちが性的ヨーガを行じている。
 

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もうひとつ

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 ゴンパ(お寺)のお堂の入り口には、『バヴァチャクラ』(六道輪廻図:仏教の解脱とは六道といわれる天、人間、餓鬼、地獄、畜生、修羅からなる輪廻の輪から外れて二度とこの世に生まれないことを顕す)と『四天王』の絵が定番だ。武器を持つ増長天(仏法を守護)。琵琶は持国天(世界を音色で守護)。宝珠で装飾した幢(はた)とマングースを持っているのが多聞天(毘沙門天)(宝(富)を人々に分配する)。仏塔と蛇が広目天(龍神の王)。
 
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 耳の上にアンテナを立てているのがパドマサンバヴァ(グル・リンボチェ)、インド人の王子が出家して密教行者になり、チベットに招かれて布教した。その時、元々チベットに居た土着の神が抵抗したが調伏して改心させ、佛教の守護神にしたと言われている。
 
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 右耳に右手を添えて「何ですかぁ?」というポーズがミラレパ
 
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 ターラ(多羅菩薩)。観音菩薩が「自分がいくら修行しても、衆生は苦しみから逃れられない」と悲しんで流した二粒の涙から生まれた菩薩。右目の涙からは白ターラーが、左目の涙からは緑ターラーが生まれた。
真言は『オム・タレ・トゥッタレ・トゥレ・スヴァハ』デーヴァ・プレマルの唄でこのマントラを聞いたことがある。調べなおした(消えてしまった時のために、検索ワードは「ターラ菩薩 マントラ」)
https://youtu.be/HdiLUkJJ3fE
ちなみにターラ菩薩は十六歳の姿とされている。
 
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 チャンバ(弥勒菩薩)。蓮華座に座り、左手は施無畏印(掌を開いてこちらに開いた掌を見せている、「こわくないよ」の印)、右手の花上に智慧の瓶を載せた蓮華を持つ。チベットでは冠に五色の佛(五佛)が描かれている。赤=阿弥陀如来、白=大日如来、青=阿閦如来。黄=宝生如来、緑=不空成就如来。
 
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 ウルトラセブンのカプセル怪獣ミクラス<https://www.amazon.co.jp/X-PLUS-大怪獣シリーズ-ウルトラセブン-カプセル怪獣-ミクラス-通常版/dp/B003WJG7YE/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB%E6%80%AA%E7%8D%A3%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9&qid=1569297434&sr=8-1> みたいなのがヤマーンタカ(ヴァジュラハイラヴァ)、ヤマ(閻魔)の別形態で冥界の王、実は文殊菩薩の化身。水牛の頭と36本の腕を持つ異形の守護神、頭上には文殊菩薩の頭がある。インド(ヒンドゥー教)では牛は聖なる動物だが、そこに水牛は含まれない。水牛は悪魔の化身、悪魔の乗り物、悪しき魔神扱いだから殺しても食べてもかまわないらしい。(実際に殺したり食べたりするのはヒンドゥー教徒以外が多いらしいが)、ところが佛教では聖獣扱いというのが面白い。そもそもお釈迦様の名前とされているガウタマ(=最上の牛)・シッダールタ(=目的を達成する人)という意味では牛と水牛を区別しているのだろうか?インド人は妙に細かいかと思えば空を飛ぶものはみんな"鳥"という名前らしいし(笑)、いや待てよヤマ(閻魔)の乗り物って黒い水牛だったからちゃんと辻褄が合っているのかも。

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2019年1月31日 (木)

慈悲深い人物の名

昨今、ヨガの名の下に多数の流派が乱立している。
身体を極度に曲げ伸ばすことだけを教える苦行系
新しい方法を謳って目新しく見せかける牟尼を気取った瞑想系
進むべき道を見失って暗闇で途方に暮れる人々に
ヨーガの王道を説いて灯りを指し示すことにした。
そんな慈悲深い私の名はスヴァートマーラーマだ。
 
 
 最初に読むべきハタヨーガの経典(*1)として有名な「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の冒頭の一文(の意訳)だ。
14世紀~15世紀頃の文献らしいけど、現代と同じようにヨガという名前でありながら実体がよくわからないという混乱期だということがうかがえる。
 
 現代でもモニタ越しに戦場を覗いて爆弾投下スイッチを押す作業を9時から5時まで行って、定時になったら"マインドフルネス"でもやってから帰ろうか。とか"インドの青少年向けの身体鍛錬体操"を教えたクリシュナマチャリア氏の弟子達が広めた体操法を行うことがヨガだと信じている人がほとんどだと思う。
 そうやって教えられてきたのだから、それがヨガだと思うのは仕方が無いことなのかもしれない。
でも「ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源」や「ヨガを科学する―その効用と危険に迫る科学的アプローチ」を読むと体操術がヨガとよばれるようになった歴史(ほんの最近、20世紀の出来事)が記述されているので一読をお勧めします。
 もっとも「実験によって検証可能である」という、西洋的な考え方がベースなので近代ヨガの歴史については読むべき処が多いモノのアーサナについては、ほぼ肉体の潜在パフォーマンスについてのアプローチなのが食い足りない。
 どうやら西洋人はプラーナーヤーマというのがよっぽど勉強しないと理解できないらしい。
「肺へ空気を取り込み酸素と二酸化炭素のガス交換」という呼吸については理解できるけれど、「足の裏からプラーナを吸い上げる」「頭頂からプラーナを出し入れする」などという解剖学的に存在しない身体器官を使うイメージ操作が理解できないということだ。
180°以上の開脚を披露したり、トランクの中に入るほどあちこちの関節を曲げることが出来たとしても、それは肉体レベルのパフォーマンスでしかなくないか?
プラーナを尾てい骨から昇らせることができない。というかイメージすら出来ない西洋人のインストラクターをありがたがるよりは、立位体前屈で床に手が付かなくとも真っ当なプラーナーヤーマや瞑想を指導してくれる人物の方が俺にとってはありがたい。
 
 そこで現代のスヴァートマーラーマーだったらどのような灯りをともすだろう?
でなことで、たっきょの「ハタヨガ・ゼロ」~源流にして最終形~ のご案内です。
 
告知↓
http://uppeal.com/yoganomori/entry/3815
 
前口上↓
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2183824631711269&set=a.124518477641905&type=3&eid=ARDWvOto4aeIdL6Ip_He5srmgIz41CBrj2JO2-dHiTYWOtBrE7-e1car4MOZJGh7N4-w6pbk8Ol3BlxD
 
前口上の補足↓
https://www.facebook.com/takumi.kishikawa/posts/10210633826560551
 
*1:ヨーガの聖典としては「ヨーガ・スートラ」が有るが、それはハタ・ヨーガの聖典ではなくヨーガ全般の聖典なので除外する。
 
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 スヴァートマーラーマによる「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」の200年~300年後に書かれた「ゲーランダサンヒター」はハタヨーガの経典としては"最も具体的に書かれた聖典"と云われている。
興味があれば受講してみてください。
 
ゲーランダサンヒター講座について
http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-183.html
 
講座の申し込みについて
http://malini.blog105.fc2.com/
 
名古屋での申し込み
http://uppeal.com/yoganomori/entry/3780
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2018年10月 2日 (火)

陰ヨガfor5コーシャ

先日の「陰ヨガfor5コーシャ」<http://uppeal.com/yoganomori/entry/3785>
での一幕
 
「ネットで検索するとほとんど画一的な上っ面だけの説明ばかりなんですよ>パンチャコーシャ」
講師のたっきょ先生は本編(般若湯編とも飲み会ともいう)で吐き捨てた(笑)
 
 
んじゃぁネットの海にそれらとは異なるパンチャコーシャの説明を放流しようと思う(笑)
 
いや実際には先日のワークショップの理論編に対する感想的なものです。
自分が知っていることを付け足したり編集しているので、大切な部分が欠落していたり、必ずしも語られた内容通りではないことを予めご了承ください。
-----------------------------------------------------------------
 
5つの鞘をマトリョーシカ状に存在していると考えるのは"誤解"である。
 
偽りの自分を理解するための分類方法でしかない。
本当の自分(いわゆるアートマン)を理解するための足がかり。概念でしかない。
 
 
# 以下# で始まる行は俺の独り言。ワークショップで語られた内容にインスパイアされて考えたことです。
# ネット検索すると「一番内側の鞘が本当の自分」みたいな説明もあれば
# 自分を分解すると「5つの鞘」と「本当の自分」が現れるという説もある。
# (鞘:中に物が納まる、外側のおおい。)
# 自分だと思っている"それ"は実はこう考えると自分とはいえないよね。という説明・方便として5コーシャを使っていると俺は理解している。
# だから言い換えると「5つの鞘」と「本当の自分」もひっくるめてブラフマンである。
 
 
 
(1) 食物鞘:アンナ マヤコーシャ
  食べ物からできている物理的な肉体。
# これが粗大身(ストゥーラ シャリーラ)
 
(2) 生気鞘:プラーナマヤコーシャ
  生きていると天候が崩れるときに気分も重くなったり、青空が広がると心が広がるような気がしたりする。
  子供は生命力にあふれている。老人は枯れている。というが超能力も無い普通の人が生命力などという目に見えない力が有ることを前提に話している。
  肉体のコンディションだけでなく、精神的コンディションともいえず、それだけではない何か(氣力のようなもの、充実感、あるいは生命力)
  そういう理屈で割り切れない氣分から成り立っている鞘
  よく「精神と肉体」という言い方があるが、プラーナはそのどちらでもなくどちらにも大きく関わっているもの。
  氣功のように科学的に計測できるようなものではない。
 
  単純にプラーナーヤーマと称する呼吸法でどうにかするようなものではない。呼吸法だと食物鞘にアプローチしているだけ。
 
  この(2)生気鞘から(4)理知鞘までがいわゆる微細身(スークシュマ シャリーラ)
  印度哲学では心も物質として考えている。そのためこれ以下の鞘も目には見えないし触れることも出来ないかすかな物質で出来た微細な身体という概念で説明している。
 
#  関連項目をまた後述(*1)
 
 
(3) 意思鞘:マノー マヤコーシャ
  単純に言えば世間一般でいわれる心や思考。
  ヨーガスートラでプラクリティの転変(トリグナ→ブッディ→アハンカーラ→マナス→etc)のアハンカーラとマナスに相当する。
  アハンカーラとは自我意識(*2)。
  マナスとは思考器官。(印度哲学では心も物質として扱っている)
  五感やら煩悩やらの大半がこの意思鞘の振る舞い。
 
 
(4) 理知鞘:ヴィジュナーナマヤコーシャ(ヴィニヤーナマヤコーシャ)
  判断機能を司る鞘(知性や理性のことではない)
  物事をあるがままに(判断なしに)観る分別智のこと。
#    判断例:暑い寒い。美味い不味い。眠い眠くない。美しい醜い。
  判断をしなくなると社会生活は営めないし、それどころか生きていくことすら出来なくなる。
  安全か危険か、危険なら逃げるか戦うか、この判断を無くすとどうなるか?
  道路を横断する時、信号が何色でも行きたい方向に行き、車が来ていても回避しない。
  ∴判断機能が無くなると生きていけない。
  逆の言い方をすれば〈しかもかなり過激に言えば)死ななければ超越出来ない鞘だ。
  即身成仏になるということは空腹だからといって何かを食べる/食べないという判断もしないし、死にたくない/死んでもかまわないという判断もないから出来ることではないだろうか。
 
  ヨーガスートラでいうブッディに相当。
  ブッダは悟った人という意味とは別に「判断を間違えない人」という意味がある。
#  そういう意味では漢字表現するなら「仏智鞘」の方が適切ではないだろうか。
  判断なしに観るとは、痛みを「痛い」と言語化する前の刺激そのものを観る。
  言語化するとそれは理知鞘のはたらきになってしまう。
  ジャパやチャンティングをひたすら行ってゲシュタルト崩壊を起こした状態。
 
 
(5) 歓喜鞘:アーナンダマヤコーシャ
  修行や瞑想して世界(宇宙)を理解した(悟った)とたどり着いた時に感じる歓喜。
  見る物聞く物全てが光り輝き、世界を祝福しているように感じる。とか呼吸することすらエクスタシーとか、論理的に考えることが不可能な身体感覚の鞘。
 
#  ヨーガスートラの"サマーディ"の状態とはチッタブリッティ(心のざわめき)がニローダ(停止)した状態と言われる。とするとこの歓喜鞘がサマーディの状態なのだろうか。
# ヨーガスートラをちゃんと読むとサマーディが目的の場所ではなくその先にカイヴァリヤ(輪廻の輪から解脱した独尊の状態)こそが最終の到達点だと書かれている。
# 印度哲学で意識の状態を説明するのに、覚醒状態、夢見状態、熟睡状態という説明があるが、サマーディの状態とはこの熟睡(肉体感覚も、思い煩うことも無い)の状態。しかも意識を覚醒させた熟睡の状態。下手にボディコントロールだのアクロバティックなポーズを行うよりも熟睡した方がサマーディに近いらしい。
 
  ゴーラクシャシャタカ【偈94】には「サマーディとは、プラーナがマナスに溶解し『マナスがプラーナに』吸収されて、まったく同一の状態(サマラサ・エーカトヴァ)になることと謂われる。」(ゴーラクかく語りき 解説の巻:伊藤武)とあるがサマラサ・エーカトヴァとは、男性原理と女性原理が溶け合って一つに合体する時のような「エロティックなエクスタシーの状態」と説明されている。また補足説明として、'「サマ:同じこと。等しいこと。」「ラサ:ソーマの漿(しる)/味/精髄(エッセンス)、水銀」とありラサはまた「感情の昇華」を指す芸術用語でもある。アーティストの感情表現と鑑賞者の心が一つになったとき、鑑賞者は至福(アーナンダ)に至るとされる。'という記述がある。やはりサマーディとはアーナンダと同等と考えられるようだ。
 
# カーラナ シャリーラ/リンガ シャリーラ(原因身)
 
  ただし、ここもアートマンを覆っている鞘にすぎない。
  この鞘までも取り払うとカイヴァリヤのアートマンが現れる。
 
 
-----------------------------------------------------
 
*1
 ヨガスタジオで行うプラーナーヤーマのほとんどは単なる呼吸法。
 それではプラーナーマヤコーシャには効かなくてアンナマヤコーシャにしか対応していない。
そもそもプラーナが流れるから活動できている。
 足の裏から出し入れする。耳から出し入れする。頭頂から出し入れする。
 それらは物理的には出来るはずもないがイメージすることは可能。
 イメージすることがプラーナが通ること。
 プラーナの通る脈管をイメージで作り出すことによってチャクラを回すプラーナがそこを通る。
# ヨーガスートラのプラーナーヤーマは止息のことを指しているので上記はそれとは別のハタのテクニック。
# そもそもプラーナの種類にはアパーナだのウダーナだの生理現象に直接関わるエネルギーも有るのだから、それらを活性化させることはハタヨガのテクニックである、そのエネルギー(プラーナ)も自分を構成している一部分であると考えると生気鞘も自分の躰だということがわかりやすいと思う。
 
 
*2
 アハンカーラを自我意識と書いたが自己への執着が起きる場所でもある。
 解りやすいのが、私の肉体。切り取った髪は私?切り取った爪は私?
 去年の私を形作っていた細胞は全部新しい細胞に置き換わったが、ここにいる私を数年ぶりに会った人は私と認識してくれる。
 外に意識を向けると私の服、私の部屋、私の家、私の町、私の国、私の惑星、私の宇宙。私はどこまでも広がっていく。
 逆の発想をすると私は宇宙。私はシヴァ。私は細胞。私は物質。私は素粒子。

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2017年4月 9日 (日)

『無我』を看破し、しなやかに『私』を生きる

ぎふ中日文化センターの特別講座に行ってきた。
 
講師:タイ上座仏教僧、タイ・スカトー寺副住職 プラユキ ナラテボー
 
講義内容:仏教の文脈で「自我を捨てよ!」といった言葉がよく聞かれますが、実を言えば、ブッダは自我についてそこまで否定的ではありません。「我具足」すなわち我の確立により苦しみからの解放の道が開かれるとも説かれてもいます。問題は自我への執着です。本講義では、ブッダの観た自我(私)が生じてくる縁起を詳しくご紹介し、しなやかに「私」を生きる道を提示してみたいと思います。気づきの瞑想の実践も行いたいと思います。
 
------------------------------------------------------------------
 
 生きる上での『苦』から脱するためには輪廻の輪から抜ける必要がある。
だが、輪廻の輪というのは何度も生まれ変わり死に変わりすることではない。
そのための瞑想の方法(気づきの瞑想)を実習してきた。
 だが実習以前に、その『苦』とは何か。何故『苦』が起きるのか。苦を感じる『自我』とは何か。
を大変わかりやすい言葉で説明してくださった。
 今生で『輪廻』から抜けるということは「自我の囚われの身になって生きていく(執着)」から脱出することである。
「気づきの瞑想」で自我のとらわれから解放され智慧を得て他者にも慈悲を与える。
 なんだろう、言葉だけは今までも何度も聞いて意味も知っているのに、その一つ一つが腹の中にズドーンと落ちてくる。
これが「腑に落ちる」ってヤツか!
最近瞑想していても、「嬉しい」「満ち足りている」とかいう感覚にひたることがよくあるのだけど「腑に落ちる」というのも同じような感覚だった。
本を読んだり、youtubeの動画で見たりというのも悪くないけれど、ご本人から直接教えを受けることがやはり大切だ。
 

------------------------------------------------------------------
質疑応答で、ペットロスになった母親についても質問したのだった。

Q:自分は瞑想することで悲しみや寂しさを客観視できるが、母親は悲しみに沈んだままである(瞑想とか無常とかの話を受け付けるようにも思えない)母に対して抜苦与楽するにはどうしたらよいか?
A:よく話を聞いてあげなさい。悲しみを理解してあげなさい。親身になってあげなさい。それだけで報われます。(意訳)

まいったなぁ。しみるお言葉でした。

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2017年3月27日 (月)

シヴァ・サンヒターも3回目(三章・四章)

毎回ホワイトボードに掲げられるシュリーヤントラ

Photo

特に三章で語られるムドラーはシュリーヤントラに宿る女神を観想しながらの儀礼なので
今回は特に詳しく語られた。(秘技なので公開不可)
 
伊藤センセのシュリーヤントラは
とか
とかで買えたみたいだけど、今は全部品切れ!
 
よく見ると"SHREE"の文字がプリントされていないシリーズがある。
最後の1枚が入っていないヤツだったけど、まぁ買っちゃいました。
(だから現在は品切れ)
税抜きで千円!良い買い物っす。
 
んで各場所におわします女神の名前をひたすら唱えるマントラがこちら。
 
さらにこちらはマントラを唱えながら、そのマントラが何処の部分の女神かを赤丸で教えてくれるバージョン
 
マントラを唱えながらゴニョゴニョ(秘密)する参考までに(笑)

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2017年3月 7日 (火)

瞑想が好きになる一日講座

オンサラバ タタギャタ ハンナ マンナ ノウキャロミ
 
(1) 正座して足首を浮かせつま先を立て、
  すかさず左膝を上げ左足は半歩前へ
  (正座している右足の脛の横くらい)
  左足はつま先立ち、左膝の上に左手の甲をのせる
  (左手の掌は上向き、右掌を左掌の上に乗せる)
 
  ここまでの一連の動作で<オンサラバ>を唱える
 
(2) 直立する
  左足を半歩退き、右足にそろえる。
  胸の前で合掌
 
  <タタギャタ>
 
(3) 正座に向かうが、まずは右膝から深く曲げ
  右掌を床に付ける。
 
  <ハンナ>
 
(4) 完全に正座し、左掌も床に付ける。
  (ほぼ、チャイルドポーズ)
 
  <マンナ>
 
(5) 額ずき(ひたいを地につけて拝礼する)
  両掌を天井に向ける(手の甲は床に触れている)
  両手の親指を掌側に曲げ込む。
  それ以外の指を伸ばしたまま45度程度持ち上げる。
  (手の甲は床に触れたまま)
 
  <ノウキャロミ>
 
こんな感じで真言宗の五体投地を教わった。
で、これを108回繰り返すワケです。
 
五体投地といえばチベット仏教のヘッドスライディングのようなヤツをイメージしていたわけで
単に、立ったり座ったりなんざたいしたことはないだろう。
と高を括っておりました。
 
これ、スクワットのキツいヤツだわ。
下手なやり方すると膝に来る。
そう思って体重移動を太もも中心にやっていた。
終わったときには太ももがパンパンに腫れ上がった気分。
 
ツラければ途中で止めればいいのに、何で最後までやるんだろう?
きっと前世から修行好きなんだろうなぁ。
というか自分の中で「あんたブワカー?」という声が聞こえる(笑)
 
 
五体投地の後は真言(マントラのジャパ)
アビラウンケンを1080回
 
久しぶりのジャパ瞑想、その前の五体投地とのセットで思考力がすっからかんになって
ストンと瞑想状態に入り込む。
まったく昔からの修行体系ってよく出来ているものだ。
 
そんなこんなで午前の部(真言宗の修行体系)終了
 
ランチはめちゃ旨

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写真ではふつ~のランチだけど野菜は新鮮、味付けは最高。
 
午後はヨガの時間
アーサナとプラーナーヤーマ、瞑想(ただし真言宗の月輪観)
アーサナでは太ももの痛みで泣きが入ってしまいました(トホホ)
 
でも佛教っていいなぁと再確認した日曜でした。
 
ちなみに朝6時に家を出て京都の会場には8時半には到着していました。
10時からなので近所のお寺に行ってみたり、喫茶店でお茶したりしてました。

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