2016年9月20日 (火)

聖なる呼吸

現代ヨガの源流T.クリシュナマチャリアの軌跡を追った映画
と紹介されているが、「現代商業ヨガ」の間違いだと思う。
なんというかものすごく狭いレベルでとらえたヨガについてものすごく狭いレベルのインタビューによって作られた底の浅いドキュメンタリー映画。
 
面白いのはパタビジョイスの爺様がマイソール宮殿跡を訪れて若い頃クリシュナマチャリアから教えを受けていた場所での話。
パタビジョイスと一緒に修行していた爺様が「我々が若い頃、ヨガを教えて銭を受け取るなんて考えられなかった(意訳)」という台詞があるが、パタビジョイスの爺様はその直前に「ヨガを西洋に広めたのはワシだ」みたいなことを話していて、俺の頭の中では「ヨガという文化を銭もうけの手段にしたのはワシだ」となっていた。
そういえばパタビジョイスの爺様が広めたアシュタンガヨガという名前を商標登録したのは日本のカリスマ商売人ケン・ハラクマなわけで、もう完璧に「現代商業ヨガ」なわけですよ。
 
 
>本作は、ドイツ人映画監督ヤン・シュミット=ガレが、ヨガの起源に興味を抱き南インドを訪れ、“近代ヨガの父”ティルマライ・クリシュナマチャリア(1888 - 1989年)の軌跡を追った記録である。
 
S.K.パタビジョイスやB.K.S.アイアンガーの師匠であるクリシュナマチャリアの軌跡を追ったのだろうがクリシュナマチャリアの師匠の話までは紹介されていない。
グルのグルのグル… 自在神にまでさかのぼるグルの系譜
ヨガの系譜ってとっても大切な話のはずなのに、まるでポッと湧いてきたかのようなクリシュナマチャリアのヨガ。奇異です。
 
 
 
──映画では1930年代のインドが映し出されます。ヨガはそれよりもずっと古いものではないのですか?
 
もちろん、ヨガは古代の修練法です。でも、20世紀より前の実践的なヨガがどういうものだったのか、ほとんどわかっていません。哲学的な伝統はきちんと記録されていますが、どう実践されていたかの記録は無いに等しい。これは、西洋が初めてヨガに注目するようになった19世紀末当時、ヨガが曲芸として見なされていた事実と関係しています。1930年代に実践的なヨガを復興させたのがクリシュナマチャリアでした。彼はヨガの新たな形式を生み出し、それが現在の巨大なヨガブームへとつながった。何千年もの昔からあった修練法が、近年になって一人の人間によって形成されたというのは、奇異といえば奇異です。
 
 
 
21世紀の実践的なヨガってなんでしょうね、まさか躰を動かすヨガのこと?奇異ですね(笑)
どう実践されていたかサドゥとかに聞いてもいないんだろうな。
サドゥが太陽礼拝とか頭立ちとかしているのも見ていなかったってことだよね。
19世紀末当時、シヴァ派の行者が英国軍と衝突していたけど、そのころの行者はアーサナを曲芸として見世物にしていたのかなぁ?
 
 
>20世紀初頭、インドでヨガは少数の年配者や僧侶だけにしか知られていなかった。
僧侶に知られていたのはヴェーダンタ系のヨーガで、それこそが保守本流のヨーガそのもの。
ハタヨーガはヨーガ外道と呼ばれるようなものでナータ派に代表される"行者"に伝わっていたもの。
僧侶は躰を汚れたモノと考えるため身体鍛錬的なもの(武術、ダンス、音楽、etc)とは距離を置いていた。
だから「僧侶に知られていた」というのは眉唾。
 
 
この映画を見て思ったのだけど、現代ヨガの目指すものは「日々の幸福」ってやつですかねぇ?
別に間違いじゃないだろうし否定するワケでは無いけれど、なんとなく新興宗教の現世利益みたいに思えるのですよ。
「現世で幸せになって何が悪い?」と聞かれても「悪いことなんかない」としか答えようがないけれど
例えば毎日スタジオでヨガの "練習!" が終わったら仲良しの人達とモーニングやらランチやらへ出かけて「毎日幸せ」とつぶやく(ネットにUPする、しないに関わらずそんな暮らしをする)
そんな暮らししていたら生活が成り立たないんですが>小市民な俺
 
大切な人を失ったり、信じていた人から裏切られたり、心ない言葉に傷つけられたり…
なんてことが無い世界に生きている人の話ですか>「日々の幸福」「現世利益」
 
息も出来ないような状態に追い込まれたとき、ふっと深い呼吸に立ち返り落ち着きを取り戻すとか
どんなに辛いことがあっても、世界は美しいと思える勁(つよ)さを養うことが「心の動揺を鎮めること」の一面なんじゃないのかな。
そういう世界は「練習!」ではたどり着けないと思うんだけど、どうなんでしょうね。
 
<聖なる呼吸 公式サイト↓>
http://www.uplink.co.jp/seinaru/

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2016年7月 5日 (火)

サンスカーラ考

一般的なヨガの説明だとサンスカーラは「潜在記憶」とか「記憶因子」と説明されることが多い。
ヨーガスートラでも最終的に除去されるもの(Ⅳ-28)とされている。
 
除去する方法として「瞑想による般若(プラジュニャー)の光で焼ききる」とされているが、
その前段階として「別種のサンスカーラで上書きする」という方法もある。

016

写真は2009年に伊藤武先生のヨーガスートラ講座(旧バージョン)の一コマだ。
 
で、ヨーガスートラを佛教的な解釈で読み直すとサンスカーラって佛教的には「行」あるいは「諸行」と訳される。
行(単数形)、諸行(複数形)で諸行とは現象世界の生滅変化している全存在のこと。つまりこの宇宙そのもののことだ。
 
サンスカーラ=諸行(宇宙)と訳すと除去できるものではないし、上書きもできない。
ここでいう宇宙とは物理的な世界だけを表すのでは無く「仏様の"はからい"」によって成り立つ世界というイメージが俺の中にはある。
 
そしてパタンジャリは原始仏教はリスペクトしても大乗仏教は嫌いなようだから「仏様の"はからい"」などという考えは認められないんだろうとも思う。
出家修行者であれば原始仏教での修行は悟りへの近道だと思うけど、高温多湿な日本で在家修行者が「仏様の"はからい"」に縋っちゃいけないのだろうか?
というかサンスカーラを観音様の慈悲で上書きするとか、お地蔵様に手を合わせることでサンスカーラを鎮めるとか
いや別に伊勢神宮にお参りすることで心身を清める。とかでもいいんだけど
因果の法則に則って善因善果を目指す。にしておきたい。

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2016年6月 4日 (土)

ヨーガスートラの背景

ヨーガスートラのヤマ(禁戒)という考えはジャイナ教の教義である。
パタンジャリは佛教やジャイナ教の教義から相当な影響を受けていると思われる。
ジャイナ教の成立時期と佛教の成立時期はほぼ同時期で開祖マハーヴィーラはお釈迦様より20歳ほど若いと言われている。
開祖マハーヴィーラ、出家以前の名はヴァルダマーナ。ナータ族の出身であることからナータプッタ(「ナータ族の子」)とも呼ばれた。
<ウィキペディア:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9 参照>
 
おいおい、こんなところでナータ族の名前が出てきたよ!!
 
ご存知ない人のために説明しておくとハタヨガの開祖はマッチェンドラ・ナータとゴーラクシャ・ナータ。
ゴーラクシャの方が実質的な開祖と言われている。
 
ヨーガスートラは5世紀、ゴーラクシャ・ナータは10~11世紀というからジャイナ教の開祖とハタヨガの開祖が同族かどうかはわからないが、それでもナータの名前が出てくるのが面白い。
 
マッチェンドラ・ナータはある日、大きな魚に飲み込まれます。(ピノキオのお話のように胃袋の中で生き続けるのです)
また、シヴァ神は海の底で后であるパールヴァティー女神にヨーガの奥義を説いていたのですが、それを魚の胃袋に入っていたマッチェンドラ・ナータが聞き覚えて、それが今日のハタヨーガとして伝えられたと言われています。
 
 
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Cjyd_hquuaaphae_2

ちなみにこれはマッチェンドラ・ニャン太
作者の"なぐぁ"氏は名古屋市中区金山のブラジルコーヒーで一日一絵展を開催されるそうです。
2016/06/04(土)~2016/06/26(日)
の中で2日程度は来場者の似顔絵(猫に扮した絵にしてくださるそうです)を描いてくれるそうなのでお近くの人は是非、足を運んでください。
(ご本人は、この絵のような雰囲気の人でした)

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2016年5月31日 (火)

ヨーガスートラ2015(第1章 その6)

チッタ・ヴリッティ・ニローダハ
ヴリッティ(心の活動)の5種類とは?
 
インド人ってとりあえず二つに割って考える。二つで収まりが悪ければ三つに区分けする。
それよりも多く分類できそうなら片手の指で数えやすいように五つにしてみる。
 
というような経緯で5種類と書いてあると思っています。
 
 
प्रमाणविपर्ययविकल्पनिद्रास्मृतयः ॥ ६ ॥
読み:プラマーナ ヴィパリャヤ ヴィカルパ ニドラー スムリタヤハ(6)
意味:(5種類の名前だけを記述する。それは)プラマーナ ヴィパリャヤ ヴィカルパ ニドラー スムリタヤハ
 
それぞれの意味は次節を参照という構成になっている。
今回は、その節も書いておこう。
 
 
प्रत्यक्षानुमानागमाः प्रमाणानि ॥ ७ ॥
読み:プラティヤクシャーヌマーナーガマーハ プラマーナーニ(7)
直訳:プラティヤクシャ(直接の知覚、感覚を通じた理解、証拠)
   アヌマーナ(推理、推論、論証、類推)
   アーガマーハ(知識、教訓、伝統、聖典、聖なる知識、科学、知識の体系)
   プラマーナーニ(基準、証拠、証明、権威、主な、正しい認識の手段、真実の概念)
意味:プラマーナ(正しい認識)、伝統に基づいて継承されてきた知識
   聖典に書かれていること、科学者による証拠を積み上げた検証によって認められた知識。
 
 
विपर्ययो मिथ्याज्ञानम् अतद्रूपप्रतिष्ठम् ॥ ८ ॥
読み:ヴィパリャヨー ミティヤー ジュニャーナマタッド ルーパ プラティシュタム(8)
直訳:ヴィパリャヨー(誤認、倒錯、顛倒(てんどう))
   ミティヤー(不正に、偽って)
   ジュニューナム(知識、認識)
   アタッド(それでないもの)
   ルーパ(意味 外観、形態、形、肖像、像、映像、美しい形、現象、見目よいこと、記号、印、象徴、特徴、性質など)
   プラティ(~に関して)シュタム(立つ、在る)
意味:ヴィパリャヤ(逆さまの知、倒錯、顛倒)とはルーパ(色即是空の色(全ての現象))を正しく認識できないこと。
 
 
शब्दज्ञानानुपाती वस्तुशून्यो विकल्पः ॥ ९ ॥
読み:シャブダジャニャーナーヌパーティー ヴァストゥシューニヨー ヴィカルパハ(9)
直訳:シャブダ(音声/言葉)
   ジャニャーナ(知識/認識/概念)
   アヌパーティー(依存/順応)
   ヴァストゥ(物/物事/事物/現実)
   シューニヨー(空の/不在の)
   ヴィカルパハ(二者択一、選択、結合、工夫、変化、区別、躊躇、ためらい、疑惑、疑い、不確か、空想、想像、無知 など)
意味:現実にはありえないことを空想してあたかも存在しているように認識あるいは言語化することをヴィカルパ(妄想)と呼ぶ。
 
 
अभावप्रत्ययालम्बना वृत्तिर्निद्रा ॥ १० ॥
読み:アバーヴァプラティヤヤーラムバナー ヴリッティルニドラー(10)
直訳:アバーヴァ(存在しない/不在)
   プラティヤヤー(信頼/信念/想念)
   アーラムバナー(依存する)
   ヴリッティル(心の作用(ブリッティ)の単数主格)
   ニドラー(睡眠/惰眠)
意味:確かな考えのない時でも起きる心のはたらきが睡眠である。
 
 
अनुभूतविषयासंप्रमोषः स्मृतिः ॥ ११ ॥
読み:アヌブータヴィシャヤーサムプラモーシャハ スムリティヒ(11)
直訳:アヌブータ(感知/知覚/経験/理解)
   ヴィシャヤー(持続、感覚の対象)
   アサムプラモーシャハ(逃れないこと/失われないこと)
   スムリティヒ(記憶)
意味:経験した感覚の対象を忘れないこと。
 
 
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 前回「クリシュター」を'煩悩性'ではなく'苦痛'として訳したところ伊藤先生から
「ここは佛教的に'煩悩性'として考えた方が良い。また、瞑想による「正しい知」以外、すべて煩悩性だよ。」とのコメントを頂戴した。
 何故、佛教的に?
と疑問に思い、ヨーガスートラ全体を精読してみた。
なるほど佛教(原始仏教)やジャイナ教を相当リスペクトしている。
俺も佛教徒の端くれである。佛教的な概念でヨーガスートラを読みこなしてやる!
と不埒な考え(?)が湧いてきた。
お釈迦様の言葉として現代に伝えられているお経である法句経(ダンマパダ)とスッタニパータを何種類か読んでみた。
 
 俺なりの結論は「原始仏教は『感覚器官の制御』の修行」だった。
 
今回の内容を感覚器官の制御という観点から訳してみる
 
 
1-7.プラマーナ(正しい認識)
 プラマーナが伝統に基づいて継承されてきた知識というのであれば、お婆ちゃんの知恵、東大寺のような二千年でも持つ木造建築を作る匠の技あたりもこれになるかもしれないが、それだとヨガっぽくない氣がする。
そこで「正しい認識/真実の概念」という言葉を別の言い方にするとプラマーナとは「天啓(五感に依らず認識すること)」としておきたい。
古(いにしえ)からの聖典も天啓により書かれたものだからだ。
またスッタニパータ790には「(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・道徳・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない」と書かれている。この「正しい道」とはプラマーナ(天啓)のことではないだろうか。
 
 
1-8.ヴィパリャヤ(逆さまの知、倒錯、顛倒)
 お釈迦様が出家しようとしていたとき、父王シュッドーダナはそれを阻止するためにお釈迦様(若きシッダールタ王子)に贅を尽くしたといわれている。(踊り、歌、音楽、伎楽、女といった五欲の対象を用意し、戯れ、快楽に耽るためである)
 シッダールタ王子はそれらを汚らわしいものとして、清らかな道(出家)を選ぼうとしていたのだ。
父王の振る舞いは感覚器官をを刺激し煩悩をかき立てる行為に他ならない。まさに180度異なる価値観、倒錯、顛倒としか言いようのない行いなのだ。
 
 面白いことに仏教発生の時代に兄弟のように発生したジャイナ教でも同じようなエピソードがある。(『ウッタラッジャーヤー』の第14章「イシュカーラ王」のエピソード)
父 「この家で過ごせば、財産、婦人、親族を自由に出来るから、わざわざ出家する必要はない。」
息子「財産が何の役に立とうか。親族や愛欲が何の役に立とうか。それゆえ、私たちは多くの徳を備えた沙門となるため出家する。」
(沙門ブッダの成立―原始仏教とジャイナ教の間 より)
 
 
1-9.ヴィカルパ(迷妄、妄想、識別、分別)
 人の言葉って心に響くものもあれば、綺麗事にしか聞こえないものもある。実態の伴わない言葉や信頼できない言葉、薄っぺらい言葉のことをヴィカルパといいたい。
 スッタニパータ734「およそ苦しみが生ずるのはすべて識別作用に縁って起こるのである。識別作用が消滅すればもはや苦しみが生起することはない」とある。正しく認識できない(1-7のプラマーナでない)状態であれば苦しみが生ずる(煩悩が生起する)薄っぺらい言葉も煩悩に直結するはずだ。
 
 
1-10.ニドラー(睡眠/惰眠)
 夢・幻をみてしまう無意識のはたらき。
 
 
1-11.スムリティヒ(記憶)
 感覚器官が味わった経験を反芻すること。
楽しいことも悲しいことも怒れることも反芻してしまう。
パラマハンサ・ヨガナンダも
行動を繰り返せば心にパターンが出来る。
脳にわずかな電気の道が作られるのだ。
レコードの溝のようなものだ
自分で作った溝をたどって生きるのが人生である。
と言っている。
 
マザーテレサの言葉も貼っておこう。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
 
 
さて、上記1-7.から1-11.を見直すとたしかに1-7.プラマーナ(正しい認識)以外は全部煩悩によるもののようだ。


ちなみに参考にした文献は以下参照

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2016年5月15日 (日)

謎のアジア納豆

 納豆が好きだ。
沖縄のホテルで無いと思い込んでいた納豆が有ったときには小躍りして喜んだ。
白い飯にかけて食べるのはもちろん、炒飯、天ぷら、油揚げの巾着、トースト、etc
何も無くても納豆を食わしておけばとりあえず大丈夫>俺
 
 古い話で恐縮だが昔の同僚に納豆が嫌いで匂いをかぐのもイヤ、納豆を食べるくらいなら死んだ方がマシという奴がいた。
そいつは小林麻美の大ファンで彼女と付き合えるなら死んでもかまわないとも言っていた。
あるとき小林麻美が「私、納豆巻きね」という台詞のCMがあった。
「あのCM見た?納豆を食べた小林麻美とキスできるとしたらする?」
と聞いたところ固まっていた。奴にとっては究極の選択だったのだろう。
俺だったらローションプレイならぬ納豆プレイでも「喜んで~!」と応えるのになぁ。
 
さて、その納豆が日本だけで食べられているのでは無いと教えてくれたのが例によってこの人の本だ。
 
<引用>
 納豆と言えば日本独自のものと思われがちだが、ほとんど同じものが
 東ヒマラヤ ― 雲南 ― 日本
 を結ぶラインに沿って存在しているのだ。
 ネパールの納豆は"キネーマ"という。雲南やタイ北部の納豆は"トゥアニャオ"。
 リビイッパ(ブータン)、スザチェ(アッサム)とまだまだあるが、ともあれ煮豆とそれを発酵させる<菌>が出会えば納豆は生まれる。
 納豆の系譜を遺伝子のレベルで研究した人がいるさまざまな国の納豆の糸にきざまれているDNAを比較したのだ。
 それによると、各地の<菌>はバクテリアの一種である枯草菌の仲間で、同族である。
 いちばんの古株は"キネーマ菌"で1億6000万年前。
 キネーマ菌から"トゥアニャオ菌"が分かれたのは1億3000万年前。
 トゥアニャオ菌から日本の"ナットウ菌"が分かれたのは7000万年前のことだという。
</引用>
 

<引用>
 ヒマラヤあたりではバナナの葉や竹カゴで密封して発酵させる。日に干して乾燥させた納豆もあり、これをスカコー・キネーマという。
</引用>

 
という前提知識がありつつもこの本を読んだときはぶっ飛んだ。
 この本によるとどうやら日本は納豆後進国らしい。
 
<引用>
 あるときサイさん(*1)に「日本の納豆はどうですか?」と聞いてみた。すると彼曰く。「おいしいけど、日本の納豆は味が一つしか無いからね」
 意表を突かれた。味が一つしか無いって…。まるでプレーンしかないヨーグルトとか、バニラ味しかないアイスクリームみたいな言われようだ。
 サイさんは続ける「シャン族の人は豆でも食べるし、乾燥させて炙っても食べる。唐辛子味もあれば、ニンニクや生姜の味もある。いろんな味や食べ方があるんですよ」
 外国人に納豆について諄々と諭されてしまったのである。最大級の衝撃だった。納豆は日本独自の食べ物ではないとは思ってはいたものの、日本人に面と向かって訊かれるとそう答える自信がない。かたや、シャン族の人の話を聞いていると、あたかも日本が納豆文化圏における後進国のような気がしてくる。
 一体全体シャンやカチンの納豆とは何なのだろう。
</引用>
 
*1:ミャンマーの少数民族のシャオ族で東京で20年暮らしている。
 
 もうプロローグだけでがっつり持って行かれました。
 タイ、ミャンマー、ネパール、インド、中国、ブータン、ラオス
 日本の納豆でも、その期限を調べると千利休、源義家、蝦夷、果ては縄文文化まで。
 
主な納豆だけでも
 
第一章 タイ(チェンマイ)せんべい納豆、蒸し納豆
第二章 (納豆の定義なので特定の納豆はなし)
第三章 ミャンマー(チェントゥン)味噌納豆
第四章 ミャンマー(タウンジー) 碁石納豆
第五章 ミャンマー(ミッチーナ) 幻の竹納豆
第六章 ブータン(ティンプー)  酸味納豆
第七章、第十三章 長野県飯田   ビワ納豆、笹納豆
第八章 ネパール(パッタリ)   納豆カレー
第九章 秋田県南 日本のシャン州の納豆汁
第十章 ミャンマー(ナガ山地)  古納豆
第十一章 中華人民共和国(鳳凰古城)納豆入り回鍋肉
第十二章 岩手県西和賀 雪納豆と菓子箱納豆
第十三章 長野県飯田   ビワ納豆、笹納豆
 
どの地域のどの納豆も手前味噌ならぬ手前納豆の話がてんこもりだ。
これぞノンフィクションの醍醐味だ。
というか俺も喰いてー(笑)
 
ちなみに各納豆の写真は
http://honz.jp/articles/-/42736
を参照してください。

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2016年5月 9日 (月)

ヨーガスートラ3章以降が説明されないそうだ

本当かどうかは知らないがほとんどのヨガスクールで行われる「ヨーガスートラ講座」では3章以降はまともに語られることが無いそうだ。
 
美容体操やストレッチ、肩こりに効くポーズ、便秘に効くポーズ、アンチエイジング、etc
もう少し本格的だとしても呼吸法や瞑想のクラスくらいのことをやっているレベルのスタジオで
 
チッタ・ブリッティをニローダする(解脱する)
ことを教えるってよく考えたら無理があるよなぁ
 
アーサナ、プラーナーヤーマ、ダーラナは説明できてもプラティヤハーラを説明できるだろうか?
「感覚器官を制御する」と一口に言っても、この感覚器官こそが煩悩の巣窟なのだもの。
 
空腹、性欲、美しいものに囲まれていたい、心地よい音楽にひたっていたい、芳しい香りに包まれたい、
これらが満たされないことによる飢餓感、あるいは満たされたと思っても時間経過と共に再度とりついてくる欲望。
満たされないことによる妄想も起こりうる。
プラティアハーラ(制感)ができるってことは飢餓感も妄想も無い世界に至ることができるわけで、もうそれだけでもヨーガの目的を達するわけだ。
 
ところが8支則というのはこの先のダーラナ、ディヤーナ、サマーディが記載されていて、この3つをまとめて"サンヤマ"と名付け、サンヤマの実践により発現する超能力が約30種類以上記載されている。
このサンヤマと超能力の説明が3章だ。
 
それに対してアーサナの説明はⅢ-46,47,48の3句のみ。実に超能力の十分の一でしかない。
肩こりやら便秘やらアンチエイジングやらと宇宙の成り立ちを知る能力やら全生類の支配力やらとを一緒に説明するのは無理があるよね。
 
それでは超能力者でなければヨーガスートラを説明できないのか?
というとそんなことを言っていてはなんにも言えなくなってしまう。
坊さんだって悟りを開かなくても坊主になれるしね(笑)
 
ということで物語としてのヨーガスートラを頭に描いて書いたのが以下の本だそうです。
 
 
これとは別に講義用のテキスト(YAJ版)も持っているのですが、こちらの方はサンスクリットの単語説明やらデーヴァナーガリーによるスートラ記述やらがあるのでYAJ版の方が俺は好きです。
でも一般の書籍にそれを付けるとそれだけで2千円くらいは高くなるそうです。
学校の教科書指定にでもなれば2~3千円高くなっても毎年新入生に買わせることができるのにね(笑)
 

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2015年11月23日 (月)

ヨーガスートラ2015(第1章 その5)

チッタ・ヴリッティ・ニローダハ
ヴリッティって何なのさ?(2)

वृत्तयः पञ्चतय्यः क्लिष्टा अक्लिष्टाः ॥ ५ ॥

読み:ヴィリッタヤハ パンチャタイーヤハ クリシュター アクリシュターハ(5)
直訳:ヴィリッタヤハ(活動)、パンチャタイーヤハ(5種類の)、クリシュター(苦痛/煩悩性)、アクリシュター(苦痛でない/非煩悩性)
   ヴリッティ(心の活動)とは5種類有って、煩悩性のものと、非煩悩性のものがある。

いやいや、パタンジャリはん、煩悩性と非煩悩性って2種類しか言ってまへんがな?
などと突っ込んではならぬ。

編集長(パタンジャリ)は配下の編集者達の派閥争いにほとほと困っていたのだ。
アカンジャリの派閥は煩悩性の有無によるものは絶対外せない。と訴え
ボトンジャリの派閥は5種類に決まっとる!。変更なんかあり得んじゃろ!

編集長(パタンジャリ)は「次の1-6節から5種類の活動を詳細に説明するが、この節に煩悩性の文字を入れるから納得してくれ」というやりとりが…

なぞと俺の頭の中でドラマが始まったのであった(^^;


それにしても煩悩性【クリシュタ=クレーシャ(「煩悩」の形容詞)】、非煩悩性という言葉は次節から始まる5種類の心の活動の中では説明されていない。つまり5種類のうち、どれが煩悩性の活動でどれが非煩悩性なのかはヨーガスートラの注釈書等を参考にするしかない。
それってパタンジャリが望んだものだろうか?
解釈の仕方を変えてみたらどうなるのだろう?
そもそもクレーシャを煩悩と訳すのは佛教的な訳し方だから一般的な印度哲学で使われている「苦痛」として考えたらどうなるのだろうか。

   ヴリッティ(心の活動)とは5種類有って、その活動は苦痛によっても苦痛以外の時でも起こりうる。

くらいのことを言ったんじゃなかろうか?
 キリスト教式の結婚式に行くと「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
とか言うけれど、ヨーガスートラではこの全ての時に「心が活動する。」と言っているのね。
 キリスト教というか一神教全般が押しつけがましくて、俺は好きになれないのだけどキリスト教徒で素敵な人はおおぜいいる。八木重吉という詩人もそのうちの一人だ。
たとえばこんな詩
 かなしい日はかなしみのみちをゆきくらし
 よろこびの日はよろこびのみちをゆきくらし
 たんねんにいちねんにあゆんできたゆえ
 かすかなまことがみえてきた

 例えお釈迦様であろうとどのような聖者であろうと身近な大切な人が死んだりすれば悲しく辛い気持ちになる。
 彼らはそれに"とらわれない"でいられるのだと思う。
 悲しい日は悲しみに暮れるしかできないのだ。その悲しみをきちんと受け止めて丹念に一念に向かい合うしかできないのであればそうするだけだ。ヴリッティ(心の活動)はいかなる時でも起こりうる。まずはそれを受け入れるしかないのだ。

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ヨーガスートラ2015(第1章 その4)

チッタ・ヴリッティ・ニローダハ
ヴリッティって何なのさ?(1)
वृत्तिसारूप्यम् इतरत्र ॥ ४ ॥
読み:ヴリッティ サールーピャミタラットラ(4)
  (ヴリッティ サールーピャム イタラットラ)
直訳:ヴリッティ(活動)、サールーピャム(同一)、イタラットラ(さもなくば)

佐保田鶴治訳   :その他の場合にあっては、真我は、心のいろいろなはたらきに同化した姿をとっている。
サッチダナンダ  :その他のときは、【自己は】心のさまざまな作用に同化した形をとっている【ように見える】。
グレゴール・メーレ:そうでない時は、心のはたらきと同じ形を帯びるように見える。
伊藤武      :さもなくば、【プルシャは心の】活動と同じに(同化する)。

実はどなたの訳もしっくりこない。
それは俺の理解が足りないのかと思っていたのだけれど、今回の講座で好きに訳してもいいのだ!
と思ったら随分と気が楽になった。

そもそも日常生活で「心が動く」ということを考えたとき、それはどんな言葉で言い表すのだろう。
感動、動揺、不安、不満、喜怒哀楽,etc,,,

ひどく動揺しているときの、人の目の動きは左右に細かく振動している。
心の動きと目の動きが同調している。と言い換えてもいい。

つまり、このように訳せるのではないだろうか?

おみゃー訳:動揺(ヴリッティ)しているとき、目【=見る者(プルシャ)】の動きは心の動きと同調する。

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2015年11月17日 (火)

ヨーガスートラ2015(第1章 その3)

ニローダするとどうなるのか?

前の節でヨガは、心の活動を停止するんやで!

と宣言されているわけですが、停止するとどうなるのか?
というのがこの節の内容です。

तदा द्रष्टुः स्वरूपेऽवस्थानम् ॥ ३ ॥

読み:タダー ドラシュトゥフ スヴァルーペー アヴァスターナム(3)
意味:後述

タダー:副詞、そのときという意味

ドラシュトゥフ:男性名詞・単数・主格
アシュタンガな人はポーズ(あえてアーサナとは書かない)毎にドリシュティ(視点)が決まっている。
この節に書かれているドラシュトゥフはその変化系で見る者
サーンキャ哲学で(プラクリティを)見る者というのがプルシャだ。

ここでサンスクリットの単数・主格というものも少しだけ補足しておきます。
語尾が~Hやら~sで終わる。日本語の主語や述語に相当する。

スヴァルーペー:中性名詞・単数・処格
スヴァ=自己の/本来の
ルーパン=中性名詞・単数・主格:色即是空の「色」、かたちあるもの/この世の目に見える全てのこと。
スヴァルーペー=本来の状態

アヴァスターナム:中性名詞・単数・主格で「住居/滞在/安住」の意
これを日本語の主語として扱うと「安住は」とか「住居が」とかなるが述語扱いだと「安住する」になる。



全部を通しての意味は「そのとき、見る者(プルシャ)は本来の状態に安住する」(by伊藤武)


サンスクリットの面白いところは語の順番と意味とに関連性が無いってことです。
例えば上記ではアヴァスターナムという主格を日本語の述語扱いしていますが、主語として訳すことも可能なのです。



「安住(安定して落ち着いた状態=永続)とは真実の自己に至ること、そのとき見る者(プルシャ)となる」


今回の講座は「自分で訳すヨーガスートラ講座」なのでちょっと自分なりに訳してみました(^^;

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2015年11月15日 (日)

ヨーガスートラ2015(第1章 その2)

YOGAとは何か?

よくヨガとは結合とか馬と馬車のくびきだとか修行体系だとか言語的な説明がなされるけど、ヨーガスートラはヨーガスートラで独自解釈になっている。(別の経典では瞑想だとか手綱だとかetc)

凄いよねいきなりぽーんと「ヨーガはチッタ・ブリッティ・ニローダである。」
と突き放しておいて「チッタ」も「ブリッティ」も「ニローダ」もそんな言葉を誰も知らないってことを前提として話を始めるんだもの。

योगश्चित्तवृत्तिनिरोधः ॥ २ ॥
読み:ヨーガシュッチッタブリッティニローダハ(2)
意味:ヨーガはチッタ・ブリッティ・ニローダである。

そして次の節からチッタ、ブリッティ、ニローダの説明が始まるのだけどそれが全く解りにくい。わざと難解な言い回しにしているのではないかと思えてしまう。

チッタ、ブリッティ、ニローダの説明としてサーンキャ哲学だのプルシャ、プラクリティだのというさらに知らない言葉が攻めて来る(笑)



そもそもプルシャやプラクリティという言葉が出てきても、その概念すら理解できないでしょ?
俺は最初にヨーガスートラを勉強したときに完全に落ちこぼれたもの(^^;

でも、サンスクリットも勉強して多少は聖典に目を通したりすると少しだけ解ってくるものです。
サンスクリットで語尾が長音やらティやらで終わっているものは女性名詞(が多い)、シャで終わっているモノは男性名詞(が多い)とかね
(他にも中性名詞があるけど省略)



伊藤先生はプルシャをプル君(♂)、プラクリティをクリちゃん(♀) と擬人化して性格も想定して説明してくれた。

♂プル君
 ・暗い性格
 ・理屈っぽい
 ・青白い
 ・痩せている
 ・ニート
 ・「狭い部屋に閉じこもって暗いことをずーっと考えていることが幸福」

♀クリちゃん
 ・明るい性格
 ・理屈嫌い
 ・日焼けしている
 ・たくましい、肉付きのいい躰
 ・カッとすると逆ギレする
 ・「世間知らずのプル君に、世界を経験させてやろうと考えている」

俺ね、この性格付けでもリアリティが感じられなくて、実在の人物に当てはめてみた。

♂プル君
◇美容外科の大家 高須克弥
 ・鬱
 ・論理的な性格
 ・体力が無い
 ・改造人間
 ・ひねくれ者で見栄っ張り
 ・働かなくても大金持ち
 ・じっと瞑想して思惟を深めることが好き

♀クリちゃん
◇西原理恵子
 ・明るい性格
 ・理屈嫌い
 ・たくましい、肉付きのいい躰
 ・カッとすると逆ギレする
 ・「奥様と母親とを立て続けに死に別れて鬱になった高須のかっちゃんを外に連れ出して社会復帰させた」

ざっくりと「西原理恵子と高須院長の熱愛をまとめてみた」参照
http://laughy.jp/1424252109127147521



プルシャ(かっちゃん)が鬱になって沈んでいるところに
プラクリティ(サイバラさん)が「ごはんでも食べて、映画でも観ませんか」
と外界に引っ張り出したんだそうな。



さて、サーンキャ哲学のプルシャとプラクリティの教えでは
プル君がクリちゃんを観ると視線を感じたクリちゃんは3つのグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)のバランスが崩れて3つの思惟器官(ブッディ、アハンカーラ、マナス)を生み出す。

マナスまでは微細(みさい)な世界(スークスマシャリーラと呼ばれる)

ザックリと言えば霊的な世界とかスピリチャルな精妙な世界。


マナスからさらに粗雑な世界として感覚器官(インドリア)が生まれ、その具体的な運動器官としてカルメーンドリアが生まれる。
(タンマートラやブータの説明は省略)


もうさ、ココまででオカシイじゃん。

運動器官って眼、耳、鼻、舌、皮膚でしょ?

感覚器官ってそこに受けた刺激を色声香味触と認識する脳のはたらきだとして、
プル君はクリちゃんをナニで視たの?

クリちゃんは、プル君の視線をナニで感じたわけ?

最初はグナのバランスがとれていて、クリちゃんは完全体じゃん?
満ち足りたクリちゃんがネクラなプル君の視線ごときで動揺するかぁ?
と考えてしまうわけですよ。


でもね、講習の最中にそんなことを言ったらヨーガスートラの背景に在るサーンキャ哲学の否定から始まってしまうからなぁ(笑)


だからヨーガスートラなんて教養として知っとく程度でいいというスタンスで受講しています。



さて、チッタブリッティニローダ
ヨーガスートラの全4章はこの言葉を説明するために費やされている。
言葉の定義、実践結果の説明、実践のための方法論(具体論は無い)、陥りやすい暗黒面などなど


とりあえずチッタブリッティニローダとは「心の活動の停止(死滅・制御)」といわれている。
ちなみにニローダという言葉は制御というより「滅する」という意味の方が強いそうです。
サンスクリットの語源から訳すと
「知り尽くした後の平安(シャンティ)」という意味でもあるらしい。
チッタブリッティを滅して完全なる悟りによって得られた平安となる。
とでもいう意味なのかもね。

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2015年11月10日 (火)

ヨーガスートラ2015(第1章 その1)

YAJ(伊藤武先生)のヨーガスートラ講座、前回は2009年9月だった。
もう6年も前だったのか。
このブログもしばらくほったらかしだったからかなり埃が積もっている(^^;
過去ログを見直すとヨーガスートラ関連の記事がそれなりにある。
http://dateyasuikyo.cocolog-nifty.com/blog/cat6291273/index.html
この過去ログ一覧の一番下には「より以前の記事一覧」というのがあって
そこに
・伊藤先生の「ヨーガスートラ入門 最終回」(全5回) 2007.03.04
・伊藤先生の「ヨーガスートラ入門 第四回」(全5回) 2007.02.25
・伊藤先生の「ヨーガスートラ入門 第三回」(全5回) 2007.02.18
・伊藤先生の「ヨーガスートラ入門 第二回」(全5回) 2007.02.04
・伊藤先生の「ヨーガスートラ入門 第一回」(全5回) 2007.01.28
とありますが、この伊藤先生は伊藤武先生ではなく伊藤雅之先生ですので
お間違えの無いよう。
さて、今回YAJ(伊藤武先生)のヨーガスートラ講座が有ったので
久しぶりにヨーガスートラについて語ってみよう。
(講座の内容そのものではなくて、そこから得たインスピレーションに
 基づいたあれこれを語ってみたい)
では第一章の(1)から
अथ योगानुशासनम् ॥ १ ॥
読み:アタ ヨーガアヌーシャサナン(1)
意味:さて ヨーガについて教えよう。
いきなり「さて」から始まる。
日本語の文章で「さて」という場合、その前段に時候の挨拶なり何なりが
あって心構えというか本文を迎えるための準備がある。
ヨーガスートラに限らず「スートラ」は余分な文字をそぎ落としたり
韻を踏んだ文章にしてみたり、日本語の俳句のように「簡素な美しさ」
というものを感じるものなのだけれど、その場合「さて」は必要だろうか?
というかこの「アタ(さて)」が必要である!とパタンジャリは考えたのだ。
そして、その前段に該当するモノは「星の王子様」よろしく大切なモノは
目に見えないところにある と考えたらどうだろう。
と俺の脳内ではアドレナリンが沸騰しそうになった。
パタンジャリは「おまえはYOGAを知る準備が整っているのか?」
と聞いているのではないだろうか?
チベット密教のミラレパは師匠のマルパから密教を伝授されるまでに
どれほどの理不尽な試練を与えられたかを考えてみたらどうだろう?
ex:wikipedia ミラレパ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%83%91
この試練を乗り越えることによってやっと教えを受けることができた。
時系列はパタンジャリの方が過去ではあるけれど
「おまえはそれだけの覚悟を持っているのか?」
と喉元に刃物を突きつけられたような言葉がこの「अथ アタ(さて)」だ。
さて、あなたの覚悟はいかがだろうか?

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2013年11月17日 (日)

ヨガによる若返りの秘法

まぁ、普段は鼻で笑っています>若返り

ヨーガの保守本流であるヴェーダンタ的に言えば
『肉体にとらわれる』ことからの解放がヨーガの目的です。
若返りって言葉に反応すること自体、老いやら病気にとらわれているってことでしょ?

東洋武術でも達人といわれる人達が異様に若い肉体を持っていることがあります。
でも、そうなるためには気が遠くなるほどの時間と血を吐くような修練が必要だというのに
ちょこちょこっとヨガっぽいポーズをとったくらいで若返るわけもないじゃん。
というのが鼻で笑う理由です。
とはいえ、ハタヨーガには若返りの修行法があることも事実です。
(後述します)
----------------------------------------
アシュタンガをやっていたころ、逆転系のアーサナは「時をも逆転させる」
というような説明を受けて、特に疑問にも思わなかった。
女性は生理の時にこれを行うと本来出て行くべきものが逆流するからよろしくない!
とも言われていた。
(ほとんどのアシュタンギーニちゃん達はそれでもやっていたみたいだけど)

そもそも子供を産むほどのエネルギーが無駄に排泄されるわけだから
それを逆転させて体内に取り込むからこそ若返るはずぢゃないの?
生理の時に逆転すると経血の逆流が起きて身体に良くないというのであれば
普段でも逆転するとうんちの逆流が起きて身体に良くないんじゃないの?
実はハタヨーガ・プラディーピカという聖典に上記に対する記述があります。



女性器に発したビンドゥを、上方に引き戻すよう修するべきである。
はた、発した自身のビンドゥを上方に引き上げることで、保護すべきである。3:87

このように、ビンドゥを完全に保護するべきである。
ヨーガを知るものは、死に打ち勝つ。
ビンドゥの発射により死があり、
ビンドゥの保護から生命がある。3:88

ハタヨーガ・プラディーピカには上記以外にも若返り系の記述が多々あるのです。

これが反復実践により、偉大なシッディをもたらし、
皺、白髪、震えを除去し、最上の行者方によって崇拝されたマハーヴェーダである3:29

もし不断に舌を口蓋の奥に接し、渋、辛、酸味を持ち、乳のような、また蜂蜜、ギーに似た液体を出すならば、その者の病気を除去し、
老いを破壊し、向かい来る武器は退けられ、神性を八倍にし、女シッダを魅惑するであろう3:50

顔を上に向け、舌を孔に繋ぎ、至高のシャクティを思念し、16の花弁のレンゲに上方より滴る、ハタ行によるプラーナから得られた、この豊かに波打つ、清らかな、月の水を飲むべきである。
かのヨーガ行者は、無病、繊細な蓮の花のような身体、長生を得る。3:51

常に師の教えに則り、常にウッディーヤーナを、自然に実践するべきであり、老人でさえ若返る3:58

アパーナとプラーナの合一は、尿と大便とを排出させ、日常のムーラバンダによって、老人でさえも若返る。3:65

以下がジャーランダラバンダである。
頸を曲げて、胸部に顎を堅く固定すべきである。
これがジャーランダラバンダと呼ばれ老いと死とを消失させる。3:70
実に、この方法によって、生気は安息に向かう。
ゆえに死も老いも、また病気なども生じない。3:75


もはや不老不死に憧れる仙人修行と変わりません>ヨーガ行者
そういえば秦の始皇帝も不老不死を求めて部下の徐福さんを東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛州≒日本)に長生不老(不老不死)の霊薬を取りに行かせたんでしたね。
この不老不死の霊薬を仙丹ともいうのですが、この『丹』漢和辞典を調べると、朱い、水銀、不老不死の薬とも書かれています。
私も幼少の頃、この丹を使った薬を使ったことがあります(仁丹ぢゃないよ)
現在は販売されていませんがいわゆる「赤チン」です。
傷薬として使われていたモノですが成分に水銀が含まれていました。
使うと肌がつるつるになったような気がします。
そういえば江戸時代の化粧品にも水銀が含まれていたという話を読んだ記憶もあります。
この丹を掘り当てたり精製したりする技術を持った鋳物師のイメージが映画「もののけ姫」にあったりする。
(あの鋳物師は製鉄民なので水銀を扱う丹の一族とは別物だと思うけど当時のイメージという意味ね)

さてさて、本題のヨーガにも水銀の記述があります。
しかも先のハタヨーガ・プラディーピカの若返りの記述です。


水銀とマナスとは、実に、本性が不安定である。
水銀が固定され、マナスが固定されれば、大地で達成され得ないものがあろうか4:26

パールヴァティーよ!水銀と生気とは、
凝固せしめれば病気を除去し、自身は滅して活かしめ、
固定されれば虚空に昇華する。4:27

ここは生気(プラーナ)の話が記載されている部分なのですが、
それはあたかも錬金術で使用する水銀のようなものという例えでもあります。
ハタヨーガ・プラディーピカでは三章でムドラー・アーサナの説明、四章でラージャヨーガの説明になっています。
この四章のラージャヨガは巷に伝わっているヨガの王様というものではなく、ハタヨーガの神髄というような内容です。

第三章の若返りのアーサナを具体的にいうと
太陽が上(陽)、月が下(陰)、これを逆転させることによって若返るということになります。

月より流れ出ずる、天上を具現したアムリタは、太陽が全て飲み干してしまう。
それにより、身体は老いに向かう。3:77

それに、太陽の口を欺く、神聖な方法が存在する。
しかし、師の教えによって学ぶべきで、百万の経典によっても得ることはできない。3:78

でもってそのアーサナの具体的なやりかたは「師の教えによって学ぶべきで」ネットでは得ることはできない(笑)

ところがね、最近ではこのアーサナによって発生するアムリタのごとき脳内薬物がサプリメントで摂れるんだそうですよ。
どうします奥さん?ヨガなんかしなくても若返っちゃうんですよ(笑)
「パロチン」でググってください。








それでパロチンで若返っても、ヨガを教える人は生徒さんに
「ありのままのあなたで(つまり年齢を感じさせる肌でも)大丈夫」って言うんでしょうかねぇ(笑)

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写真はマルマヨーガ名古屋での寿司屋のランチ風景

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2013年9月 8日 (日)

チベット寺院

日本で唯一(というか本国チベット以外で世界で唯一)の本格チベット寺院に行ってきた。

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何も知らずに前を通っただけだと怪しげな施設にしか見えない(^^;
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天井の向かい合った鹿とチャクラが、ここに大蔵経が保管されている証だそうだ。
本場のチベットでも鹿とチャクラの建物は少ないそうで、そもそも大蔵経のことを調べるとそんなに大層なモノがこんなところにあるなんてびっくりした。
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建物を裏山から観ると金色に輝いていた。
建物の後ろの池のこちら側に座しているのがツオンカパ師だ。
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こんな感じで見守っていらっしゃる。
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仏画
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天井の大宇宙曼荼羅。
この曼荼羅のある部屋は瞑想部屋になっている。
しばらく座っていると降り注ぐエネルギーに圧倒される。
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ダライ・ラマ法王が座るための椅子(バリ島で見たアーサナと同じだ)
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お寺のすぐ外にあるカフェでは棚の上にヤクさんが睥睨していた。
チベット仏教寺院の強巴林(チャンバリン)は倶利迦羅不動寺の一部のようです。
http://www.kurikara.com/chamba_toha.html

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2013年8月26日 (月)

マルマヨーガ(1)~(3)備忘録

<プラーナーヤーマ>
左から吸って右から吐く、右から吸って左から吐く。
後ろから吸って前から吐く、前から吸って後ろへ吐く。
左足から吸って右足から吐く、右足から吸って左足から吐く。
鼻から吸って壺に落とす。
目から吸って壺に落とす。
耳から吸って壺に落とす。
目も耳もパーミングで熱した掌を使う。
耳に穴を開けるほど本格的にできないおいらは耳を餃子に見立てて、餃子を押しつぶすぐらいの勢いで親指に力を入れた。
壺を熱して蛇を泥鰌鍋にするから、蛇は退路を求めて一気に走る。

<座法>
首級→蛇は基本通り
一旦光の流れをせき止めてから解放する
捻り、合蹠、蝗、座位の前屈、鋤、魚
(そういえば妙乗院で一度だけやった鮃&鰈は先生本人が忘れているのかも)

おまけ<足首回し>
プロペラのごとく回転させることで浮力を得て空中浮揚する(笑)

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2013年3月31日 (日)

病院へ

尻の穴に指やら真っ黒な触手のようなものを突っ込まれたり
飯も喰わせてもらえなかったり、浣腸されたりと
さんざんな目に遭って5キロは痩せた。

内視鏡でいくつかのポリープは切除したものの
腸の壁面が変色して血が滲んでいる部分は、素人目に見ても邪悪な様相だった。

結局は直腸癌ということで手術する時のガイドラインによると
患部の上下10cmずつ切除すつのだそうだ。
直腸って全長15~20cmくらいだということで結局全摘することになった。

大腸の末端(S字結腸)のあたりを肛門に繋げる予定だけど
最低でも半年はお腹の横に穴を開けていわゆる人工肛門(ストーマ)の人になる。
どうやら障害者手帳をもらっていろんな特典がつくらしい。

一応他の臓器への転移はないとのことなので大騒ぎするほどのことでもない。

ということで4月3日に入院、10日に手術となります。
しばらく酒は飲めないなぁ(笑)

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2012年10月 8日 (月)

バガヴァッド・ギータ(から虹の彼方へ)

虹の色数って国によって違うんだってさ。
赤と青の2色しかない国もあるっていうから驚きだ。
印度は何色あるんだろうね。
 
 
さて、大型台風がダブルヘッダーでやってくるという2012年9月29日~30日で毎年恒例の高尾山合宿「カルマさんがころんだ」に参加してきた。以下はそのレポートです。
 
 
 
初めてバガヴァッド・ギータを読んだとき、インド人が仕事をしない(といわれている)理由がわかったような気がした。
 
第十八章 離欲の完成
(47) 自分の義務が完全にできなくても
   他人の義務を完全に行うより善い
   天性によって定められた仕事をしていれば
   人は罪を犯さないでいられる。
 
 
ね、
自分に与えられた仕事がなかなか完了しなくても
他人の手伝いをするよりもよっぽどマシなのだ。
(つーか、他人の仕事なんか手伝っちゃ絶対にダメ)
五分で終わる仕事を一日かけてやったとしても
自分の仕事をやっているのだから
それは神の意志に従っているのだ!
しかも行為の結果(仕事の成果)を思い煩うな。(←カルマヨーガ)
と何度も何度も繰り返し語られている。
 
 
日本人が桃太郎やら花咲か爺とかのお話を子供の頃から聞かされるように、こんなのを聞かされて育ったインド人ってそりゃぁ一所懸命に仕事なんかしないっしょ?
 
 
 
さて、そんなギータを伊藤武センセがもっと根本の部分を解りやすく料理してくれた。
ギータを最初に読むと、登場人物の名前ばかりが続き、いきなりめげそうになる。
登場人物名の羅列が終わっても、血縁関係やら人間関係がどうなっているのかさっぱり解らなかったのだ。
 
例えば
プリターの息子よ
クンティーの息子よ
ドリタラーシュトラの息子
バラタの子孫よ
 
といってもプリターって誰?
クンティーって何者?
といった具合だ。
 
要はギータというのはマハーバーラタという長大なお話の一部であり、登場人物の紹介やいろんなエピソードが語られているわけで、それらのあらましは知っておくべきだと再確認したわけだ。
 
主人公のアルジュナは五人兄弟で父親の名前はパーンドゥ
パーンドゥの息子達を総称して「パーンダヴァ」と呼ぶ。
パーンダヴァの戸籍上の父はパーンドゥだが、本当は五人とも実の父はいろんな神様なのだ。
マハーバーラタでは、この兄弟達って美女一人を五人共通の妻にしていたことも語られている。
 
日本人は災害時でも順番に列を作ることで知られているが、中国や印度では早い者勝ちで我先に突っ込む。
列車やら交差点やら踏切やら…
夜の生活も?(笑)
 
 
パーンドゥの義理の兄弟のドリタラーシュトラとその息子達がアルジュナ達パーンダヴァの敵だ。
ドリタラーシュトラの息子達は一卵性双生児ならぬ『一卵性百生児』
おなかの中に百人の赤ちゃんがいたのではなく、卵で生まれてその中に百人いたのだという。
彼らも並の人間では無い。
それでも人間の子供なので何をやっても神々の息子達には敵わない。
人間の子供といっても相当以上に出来の良い人たちなのに何をやっても敵わない。
どれほど努力しても相手(パーンダヴァ)は何の苦労もなしにそれ以上のことを易々とこなす。
そりゃ、面白くは無いわ。嫉妬もするだろう。
 
こんな背景を理解しているかどうかでストーリーに対する理解度がまるっきり変わるね。
 
主人公アルジュナは、親友だと思っていたクリシュナが
クリシュナ
クリシュナ
YOGAROOM
実は偉大なる「最高神の化身(バガヴァッド)」であることを知り、
彼から最高の奥義を授かる。
 
簡単に言ってしまえばこれだけのお話だ。
 
 
バガヴァッド「婆伽梵(ばがぼん)」という言葉から造られた作品としては
バガボンド(井上雄彦)
天才バカボン(赤塚不二夫)
が有名だが、仏教界ではバガヴァッドとは、お釈迦様のことでもある。
 
でもってヒンドゥー教界でお釈迦様はビシュヌ神の化身といわれている。
バガヴァッド・ギータで「唯一の至高存在」「絶対神」として語られるクリシュナにとってビシュヌ・シヴァ・ブラフマーもその化身に過ぎない。
 
 
では、そもそもバガヴァッドって何かというと
BC.800±200 ヤーダヴァ族の王または英雄のヴァースデーヴァは「デーヴァキーの子クリシュナ」の(あるいはその教えを継いだ者)の弟子となり、同族のあいだに太陽神の崇拝を中心とする新しい宗教を広める。このヴァースデーヴァの宗教(原始バーガヴァタ教)は、その最高神を「バガヴァッド」と称した。
つまり鰯の頭もバガヴァッド(の化身)なのだ。
 
バーガヴァタ教というヒンドゥー教から見たら佛教と同様な新興宗教の話なわけで、それがマハーバーラタという神話に組み込まれた。というものらしい。
 
Img_2121
講義の内容を全部書いてしまうとセンセの商売を妨害してしまうかもしれないのでこれくらいにしておきますが…
 
講義を聞くというのは、疑問に思ったことをその場で質問できる。ということで、それはもうこの上ないありがたい環境にいさせていただいておりました。
 
 
さてさて、恒例の課外授業(単に飲み会ともいう)のお題も多岐にわたっていて
・醸造酒の作り方と醸造酒の作り方のレクチャー
・印度の山奥での修行の成果と「死ね死ね団」との戦いについて
・【門外不出】、伊藤武による「鉄腕アトムのアーサナ」
・etc,etc...
 
 
二日目にはバガヴァッド・ギータの講義だけでなくバラタナティアム(印度舞踊)ダンサー堀友紀子さんが女神のダンスを披露してくれましたよ。
Img_2139
Img_2141
こんな感じ
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普段はこんな感じのキュートなお嬢さんでしたが、ダンスの時は別人。
やっぱり神様が降りて来るのかな?
 
 
 
前後するけど、写真は
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JR高尾駅の天狗様
 
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高尾山駅のケーブルカー乗り場横の「天狗焼き」
 
Img_2099
高橋屋の鴨ネギせいろ
 
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晩ご飯
 
Img_2117
朝ご飯
 
Img_2124
昼ご飯(足りね~(笑))
 
 
そして、帰りは台風で宿坊の人達も3時には誰もいなくなるということで大急ぎで撤収。
電車も間引き運転になっていてゆっくり運転
新幹線はもっとゆっくり運転で、新横浜-名古屋間(通常90分程度)が4時間もかかってしまった。
 
それでも楽しかった。
もはや麻薬だね。
 
# タイトルの「虹の彼方」は飲み会の話題での変身ヒーローのこと(若い子は知らなかったよ(笑))

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2012年9月16日 (日)

バリ島2012(6)

5日目(9月9日)最終日


今朝、寝たのが4時前だったにもかかわらず朝の6時には目を覚ましていた。
起き上がる気になれずにいたが、それでも7時には行動を始めた。

今日は女性陣が占いに行くというのだ。

ガイドブックに載っているジュリア・ロバーツの何チャラとかいう映画に出ていた占い師の実態とかを聞かされても、ふ~んと聞いているだけだし、これから行く占い師のことも同様にふ~んと聞いていただけだった。
行かないという選択肢もあったけど一人じゃ寂しいし(;´Д`)

占い師の家は海辺にあった。
占いの最中、俺は一人で散歩に出かけた。


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魚市場があり、セリでもしているようだった。


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その横には加工場


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四角い釜に湯を沸かし、そこでゆでた魚を都市部に出荷するのだそうだ。
バリでは冷蔵庫があまり普及していないため、生魚は売れないらしい。


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ビーチの前には看板がある。
かっこいい鮫さん達をいぢめないでねって(笑)


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ミズスマシのようなダガーボートが並んでいた。


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日本の海の家みたいなものがあるのかと近づいたらマーケットになっていた。


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衣料品やら食料品やら食べ物の屋台とかもあった。
食べておけば良かった、単独行動で心細くて食べられなかった、臆病者の僕ちゃん(^◇^;)

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これは占い師の家の裏側


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空が青い

ここで塩田の粗塩を買ってウブドに戻る。

先日、夕食をごちそうしてもらった家のじいさまがマッサージ師だということで初マッサージ。

その後は早めの夕食


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エビチリ味のイカ


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イカと交換したエビとご飯

 

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最後にガムランを聞きに行った。
初めてガムランを聞くと思われる西洋人の子供が楽器の真横に座らされていた。
曲が始まったらびっくりしていた(笑)

Img_2095

この写真を撮ったところでカメラの電池が無くなった。
以下はiPodTouchのカメラによるもの


Img_0174tile

ま、なんだかんだであっという間の5日間だった。

結局、物の怪のたぐいには一度もお目にかかることも無く少しばかり寂しい思いをした。
これは霊感の無い俺が感じていないだけで、物の怪さん達は挨拶しに来てくれていたのかもしれないが(笑)


できることなら↓の動画の頃に行ってみたかった。

bali kuno 4 360p

Bali Tempo Doeloe 1932 (Part 2) BazZtic WaYan - YouTube1983vijay1

最後にこれぐらい大勢のケチャも見に行きたかった。

[mix]Baraka.1992.1080p.BluRay.DTS.x264-PerfectionHD.avi

まぁ、次回のお楽しみにしておこう。


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バリ島2012(5)

4日目(9月8日)


マー姉さんの部屋でカラリの太陽礼拝と少しばかりアーサナをした後、ウブド王宮の方角を見るとうっすらと山陰が見える。あれはどこの山なんだろう?

Img_1865

今日はクニンガン(送り盆)のクライマックスの日、子供達も正装してお参りに行く準備ができている。


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通りを歩くと、どこかのガイドブックにのっていそうな少女が祈りを捧げるシーンに出くわした。

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ウブドで有名な日本料理店「漁師」もお休みだった。

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たどり着いたのは「モンキーフォレスト」
ま、観光地ですわ。

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でも、目的地はこの中の「死人寺」と呼ばれる場所。
いわゆる『尸林』だ。


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その昔、死体を投げ入れ、動物たちにむさぼり食わせたりしていた場所。
(ここでは土葬してある程度まとまったら掘り出して合同で火葬にするという火葬式(ガベン)が行われるという)
我々は『尸林のダーキニー(ヨーキニー)』に思いをはせる。

ダーキニー(ヨーキニー)とは尸林に住まう女行者、あるいは巫女。
呪術を行い、妖力を使う。
サドゥにヨーガの超能力を授けたのも彼女たちダーキニーだ。

まるでランダの前身のチャロン・アランだ。

ヨーギニーと、有名なヨガの先生をありがたがるヨギーニちゃんとは全く別の存在だ。

さて、その死人寺『尸林』だが、拍子抜けするほどあっけらかんと明るい、風通しの良い場所だった。
まるで公園の一角のうだ。
死者の供養のために集まった人々がお弁当を広げて歓談している。
これはこれでほのぼのして良いもんだった。


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空は青く


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クニンガン(送り盆)の飾り付けもだいぶ乾燥してきた。


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ランチとスイカジュース。
何故だか我々にはスイカジュースが大人気だった。


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道端にあったアーサナ。
ここまで供物を盛るとありがたみも無くなるんじゃないの?
と日本人の感覚では思えてしまう。


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早めの夕飯のやきそば(写真!と思ったときには、ほとんど食べ終わっていました)


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鶏肉入りのおかゆ


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これは何だったっけ?(粗塩がやけに旨かった)

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食事をしていたらパレードが始まった。


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バロンを引き連れた長い長い行列だった。


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村中の人たちが総出で歩いているようだった。


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こんな早い時間に夕飯にしたのは訳がある。
今夜はチャロナラン(チャロン・アラン劇)に行くのだ。

チャロナラン劇とはオダラン(寺院祭礼)のための奉納舞踊のことで観光客のための見世物では無い。
夜の10時頃から始まるそれはランダの中で踊る人がトランス状態になり、その近くにいる人々もまたトランス状態になる。
さらにひよこや鶏を生きたまま引きちぎって血だらけになりながら貪り食ったり生卵を食ったりするという、なにやらおどろおどろしい話を聞かされた。
そのトランス状態になるのは深夜何時になるかわからない。ということで夕食後はお昼寝タイムだった。
(期待が膨らみすぎて眠れなかったけどね(笑))

まずはオダラン(寺院祭礼)に行くためにはシャワーを浴びて身体を清浄にし、正装をしていかなければならない。
この日のためにマーケットで買いそろえたウドゥン(ターバンみたいな鉢巻き)、サルン(腰巻き)に身を包む。
所詮は観光客なのでまるで七五三だよな、と思いながらも出撃だ。

運転してくれたカトッの車で一時間近くも走っただろうか?
クルンクン地方のどこかの山の中の村に到着した。
そこには屋台が出て人が集まり熱気が渦巻いていた。


まずはカトッの家におじゃました。
4軒の家で一区画になっており、その一区画でひとつの家寺を奉っていた。
収入の大半を宗教儀礼に使うのだそうだ。
ちょうど家寺を新しくしたばかりなので見ていってくれと案内された。


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快楽のためにお金を使うのでは無く先祖や神々のためにお金を使う。
これが人としてのあるべき姿だ。と土地の母ちゃんに言われた。


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ここの婆ちゃんは90歳を超えている。
我々が日本から来たと知るとインドネシア独立の歌を歌ってくれた。
独立戦争を共に戦った旧日本兵への感謝の気持ちが伝わってきて胸を打つ。


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カトッ家の人

 
  
【チャロナラン】

さてチャロナラン劇だ。


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我々はなんだかスペシャルゲストという扱いでガムラン隊の真横や真後ろに案内された。


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もう最高!
音の響きが身体中を駆け巡る!

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続いてはバロンダンスの舞台を仕切るロープの内側へ(いわゆる砂かぶり席だ)


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真後ろにいたおばちゃんや子供達もいい顔していた。


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ランダの弟子達のダンス(シシアン・デワ)

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美しい娘として猫をかぶって踊る魔女達のダンス。


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コントが何組も出てきてインドネシア語なのかバリ語なのか、言葉がわからなくってねぇ
会場は爆笑の渦なのに口惜しい(笑)
そして長時間なのが苦痛

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マー姉さんと二人でトイレタイムで抜け出したのだが、地元の母ちゃんに連れられて行った先は
この会場のすぐ脇の水路!
俺はさっさと用を済ませたのだけれど、あっちから姉さんの声が…

「ここ?本当にここでするの?」
まるで悲鳴だったが、心配して声をかけるのもはばかられるのでさっさと自分の席に戻った(笑)

 
  

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そうこうしているうちにランダ登場

1分とたたないうちに退場しちゃった(お面の力にやられたのだろうか?)

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これはランダと弟子達による貞子ダンス(シシアン・ングレー)
文字通り猫というかぶり物を取っ払った女達の『素』の恐ろしさが表現される。
髪を振り乱した魔女達の前では男は恐れおののくしか無い(^◇^;)

 
  
   
突如場内への入り口が騒然としてきた。


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マヤットだ!

死人寺から掘り返したばかりの死体が来る!


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でもマヤットを乗せる竹のベッドは会場の中にある。
マヤットはどうやって入ってくるんだ?
と思ったら、このベッドを一旦、外に運び出した。


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戻ってきたときには男達に囲まれて中が見えない。


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誰かが乗り込んだように見えたが外で乗せてきたのではないのか?


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口まで裂けたお面をかぶった男が乗っている。

死体の人形ではなくて死人に扮した人間(マヤット・アスリ)だ。


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マンクー(司祭)達の動きも慌ただしくなっていた。


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次々とイッちまう人々


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ランダとチャロナラン


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当初期待していた血まみれの生け贄のようなものは一切無かった。
しかし初めてチャロナランなのだから、無くて良かったのかもしれない。
どこか拍子抜けした部分とほっとした気持ちが交錯しながら宿に戻ったら午前3時過ぎだった。

自分の中で祭りの余韻が抜けきっていないので、宿を出て丑三つ時の町を徘徊してしまった。
コンビニでビールを買い、屋根を走る猫の足音を聞き、何匹かの犬に吠えかかられたが魑魅魍魎に出会うことも無く宿に戻った。
伊藤センセもまだ起きていたので買ってきたビールを二人で飲む。
またお隣さんに「静かにしてね」といわれてしまった。


ここの地域のチャロナランは地元の暦の1年(ウク暦の一年は210日)に1度行われるという。
西洋人を見かけなかったこういう祭りがいつまで残るのだろう。
そして俺はいつまた訪れることができるのだろう。

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2012年9月15日 (土)

バリ島2012(4)

3日目(9月7日)

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刃物の切れ味を検分するセンセ
店のおっちゃんのTシャツに日本語が…
(ガネーシャの絵と「目に入らぬか」の文字、反対側には「この紋所が」とか書かれているのかなぁ(笑))


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ちょっと出遅れたので生鮮食品関係は店じまいしているとこが多かったかも


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雑多なものが売られている。


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ウブド市場とウブド王宮(プリ・サレン)はすぐ近くなので散歩がてらに行ってみる。
昨夜ガムランを聞いたウブド王宮も昼の光の中で見ると壁画とかが目についた。

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熊さんに見えるけど、こいつは虎。


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ランダの絵は日本の化け猫みたい。

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王宮前には豚の丸焼きで有名な店があってランチに来るつもりだったけど休みになっていた。
9月7日から9月9日はちょうどクニンガンという日本でいう送り盆の時期で他の店も軒並み休みだ。
昔の日本でも盆や正月は休みの店が多かった。不便だけど文化を継承するにはそれもまたいいもんだ。
(ま、観光客向けに営業している店も多いので不便はなかったからこんなこと言えるわけで(^◇^;))

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そんなこんなでみんなとランチに出発。
金魚売りがいた。日本の行商のように「きんぎょ~、え、きんぎょ~」みたいな掛け声は無かった。
どうやって商売しているんだろう?訪問販売?

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今日のランチも大盛り

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クニンガンだからなのか日本の獅子舞のように子供達がバロンダンスをしてドネーションを募っている。

 
   

【午後の散歩】

午後はマッサージ組と散歩組に分かれて、こちらは散歩組


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石畳を造るのに寄付した人たちの名前が書かれている道を歩く。

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土産物屋、無人だと思ったら向かいの建屋から人が出てきた。


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散歩の間中、ワンコが先導してくれた。
写真には小さく写っているけど、常につかず離れずだった。
途中で水浸しになっていたので水路に落ちたのかと思っていた。
しばらくすると自分から水路に入り込んだ。暑いからそうやって冷やしているようだ。賢いなぁ。

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で、この水路、人の手により相当昔に造られたものらしい。
水田があれば水争いがつきものだけど、村々で協定ができていてきちんと管理されているのだそうな。

散歩中にもおじさんが水門の調節をしていた。
といっても、二股になっている水路に板をあてて水が流れないようになっていたのの板を外していただけだけど。

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水田と水路と椰子の木と、ウブドのメインストリートからほんの少し歩いただけでこんな自然に囲まれる。

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町中に戻っても、商店街の裏を覗くとジャングルになっていたりする。
いいなぁ。

そういえば先導していたワンコのやつ、ず~っと一緒に散歩していたくせに、雌犬が現れたら「あ、急用思い出したわ」テな感じですっ飛んでいった。酒池肉林・焼肉定食だわ。


 

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これはロールじゃ無いトイレットペーパー(ホルダ)
なんつーかティッシュの箱から紙を引き出すみたいだった。

 
  
【夜はジェゴグ(竹のガムラン)】

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ここのダンサーは重くなさそう(^◇^;)


鹿ちゃんのダンスはなかったけど水牛のダンスがあった。
(写真は水牛のダンスぢゃないよ)
某センセは鹿ちゃんだけでなく水牛ちゃんもお気に召したようだった。
そのときのニマニマ具合の写真を撮ったのだが光量が足りずにほとんど真っ暗だった、残念。

ここでは数人のケチャがあった。
(小ケチャ)
写真はない

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最後はこの太い竹を大槌で打っ叩くのが追加されてクライマックス。

客もみんな舞台に上がって音の洪水に翻弄された。

ガムランもジェゴグも音が身体の中の体液や空間を共振させる。
まるで音による滝行のようだ。
音により都会の垢が吹き飛ばされていた。

 
  
   
はて、この日の晩ご飯は何だったんだろう?
いつの間に寝ていたんだろう?

ついでに記憶まで吹き飛ばされたようだ。

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バリ島2012(3)

(承前)

【バトゥカウ寺院】

ウブドの西洋人の多さにはまいった。
道行く人の8割は西洋人だった。
こじゃれたレストランなんか見渡す限り白人ばかりで、自分がどこの国にいるのかさえ判らなくなるほどだった。
自分たちの文化をどこにでも押しつけるのを何とかしてほしい。

もっと他国の文化を敬って、現地の人と触れ合えばいいのに。

そしてバリ島北部、バトゥカウ山の南に位置するバトゥカウ寺院へ向かう。
もちろん新しいビーチサンダルも途中で買ったさ(約200円)

未舗装の山道を車に揺られて上がらなければならないため観光客も少ないと聞いてきた。
確かに観光客は少ないが、それでもここに来ている観光客は我々を除いたら西洋人ばかりだ。


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参拝をするには略式の正装が必要なので、腰巻きのサルンを巻き、ベルトも巻きます。

西洋人もちゃんと巻いてる。(女性は肩を出さないようにした方がいいらしい)


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歯の生え替わっていない幼児は入場禁止だということで、お子様連れのご夫婦は旦那が子守&留守番になっていました。
(後で奥さんと交代して参拝したけどね)

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ここは池の真ん中にアーサナと祠がある。

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沐浴場
水が止められていたのが残念
一番下の写真は口から口へ水が移っていくようになっていてなんか面白い

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時計の下にある布
なにやら方位陣(のようなものby伊藤武)が描かれている。
俺の部屋の前にも同様の布があった。
(神棚とセットなのか?他の部屋の前には布は無かったからなぁ)

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地面に何かいる。
猫かと思ったら妖怪さんだった(^^;

 
  


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一人で参道脇の小道を下ってみた。
沢に降りて行き止まり(というか沢下りして迷いそうだったから引き返した。なんせ小心者だから)
左下の写真にはワンコが写っている。
バリでは犬も猫も本当にあちこちにあふれていた。
 
  
   

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バトゥカウ寺院の脇にもう一つお寺があった。
狛犬の代わりにランダが居た。(;゜ロ゜)
ランダは通常なら表に出ていない、というか出てこれないように祠に纏られていることがほとんど。
だって悪霊だもの、悪、魔、穢れ、暗闇、死の象徴なのに表にいたらまずいっしょ(;゜ロ゜)

と思ってネットで調べたらこんなのを見つけた。

【解説】 バリ・ヒンドゥーにおいて魔女ランダ(シヴァ神の妻/女神ドゥルガの化身の一つ)は神獣バロンの敵で、人々に恐れられている。 しかし正義と悪が表裏一体とされるバリ・ヒンドゥーにおいては島のいたるところにランダ神を祭る姿が見られる。 ランダ神は「子供を食いちぎる魔女」という側面とともに「病気治療をする癒しの母」「子供に乳を与える母」という面をもっている特別な女神でもある。

ふ~ん、鬼子母神系の女神様でもあるんだ。


【ジャティルウィの棚田】

バトゥカウ寺院を後にしてランチを食べにジャティルウィに向かう。
車が一台やっと通れるくらいの細いガタガタな道を通って行く。
田舎道だが周りの景色は棚田ばかりだ。

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急に視界が開けて、山と広大な棚田が見えた。
ジャティルウィの棚田だ。

遠くに雲を纏った山が見えるが、あの山の名前は何だろう?

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牛さんもいた。

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待てど暮らせどお昼ご飯が出てこない。
そういえば、これが初めてのバリご飯だ。
昨夜は中華、今朝はコーヒー、サラダ、トースト、オムレツというどこででも食べられるようなものだった。



  


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ふてくされて寝ている人がいた。


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出てきたお昼ご飯は大盛りだぜ。
食べきった後はしばらく動けなかった。


  
 
【洞窟の寺】

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途中の道で綺麗なお寺があった。


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沐浴場

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洞窟がある。

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洞窟の壁画
いったいいつ頃のものなんだろう?
不思議な壁画だった。

 
  
【タマン・アユン寺院】

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 観光地です。

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チケット売り場の左手に見える白いテーブルクロスのかかった席は結婚式の準備だそうな。
なんでもスペインだかポルトガルだかからやってくる物好きな白人がぱーちーするそうな。
なぜだかムッとしてしまった。自分ちでやれい!ってね。

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ここにはバロンがいた。
先ほどのランダに唯一対抗できる善神(神獣)だ。
このバリの地ではランダとバロンが、決着のつかない戦いを永遠に繰り広げられているのだそうだ。

 
  
【バリの普通の民家のご飯】

お世話してくれたバリのよーこさんが懇意にしているお宅で晩ご飯をいただいた。

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これで8人前!
男子中学生8人じゃないんだから(^◇^;)
しかも昼ご飯がまだ消化されていないし(;´Д`)

大半が残ってしまった。ごめんなさい>イブイブ(母ちゃん)

 
  
【ガムラン】

夜はガムランだ。


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このおっちゃんが燻し銀の魅力でねぇ
なんだか渋くていい。

この後、滞在中に何度かガムランを見に行ったけど、この楽隊が一番かっこいい。
なんつ~かピシッとしている。

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タバコを吸う外人
日本の禁煙運動とは全く関係なくみんなよくタバコを吸っていた。
昔はガムランの楽隊の人たちも咥えタバコで演奏するくらいだったんだってさ。
ゆるいねぇ(笑)


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マンクゥ(司祭)によるお清めの儀式

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お香と花と水、そしてベルの音で黄色い花で飾られた冠を清め、踊り手に冠をかぶせる。


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魔物(ジャウッ)登場
爪、長すぎ

この魔物はユーモラスなんだよね

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クビャール・トロンポン
踊りながら演奏するおかまという風情なんだけど
なんといっても 色っぽい(笑)
それにテクニシャン(いや~ん)
足腰は安定しているし、写真で指先が写っていないのはスティックをくるくる回している。
演奏しながらも流し目くれたりして素晴らしいエンターテインメントになっていた。


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魔女ランダの弟子達
6人の手下達が怪しく踊る
怖いよ~(重そうで)

胸の前の前掛けに描かれている絵はなにやら海坊主みたいだった。(真ん中の写真)

右側は、かぶり物をとってパワーアップした魔女達(白い布は疫病や厄災を運ぶらしい)

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手下の猿たち
可愛い女の子を見るとちょっかいを出す。このスケベ猿め、変わってくれ(笑)


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これはカリカとドゥルガというらしい。ランダじゃないの?

 
  
↓最新ファッションはこれをヒントにしているに違いない(爆)


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そして夜は更けまたも飲み会に…
女性陣は早々と引き上げ野郎二人は馬鹿話を肴にしみじみと焼酎を干していくのであった。

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