2011年1月 7日 (金)

ゴーラクシャ徹底解剖【新規講座のご案内】

<転載:http://malini.blog105.fc2.com/blog-entry-150.html

ゴーラクシャは、
『ヨーガ・スートラ』の作者とされているパタンジャリと異なり
ヨーガ関係者であってもあまり聞くことのないであろう人物ですが、
弘法大師空海を想像すれば、だいたい当たっています。

空海が8世紀中ごろまでの中期密教を整理・体系化して「真言密教」としたように、
ゴーラクシャは12世紀ごろまでの仏教タントラ(後期密教)とシヴァ教タントラの教えとヨーガを
「ナータ派」と「ハタ・ヨーガ」にまとめ上げました。
そして、「お大師さまが杖をつくと温泉が湧いた」のごとき弘法伝説が日本中にあるように、
「ナートさま(ゴーラクシャ)が死者をよみがえらせた」のたぐいのゴーラク伝説がインドやネパールに数千と残されています。
また、日本仏教の宗派争いのごときものが、インドの哲学学派にもあります。
「ハタは低級で、ラージャは高級」「ハタはラージャの一部」
というのは、タントラ系ナータ派と敵対関係にあるヴェーダーンタ系サニャーシー派(いわゆるスワーミ)がいいだした一方的な主張。
逆にナータ派は「ハタは科学的なヨーガで、ラージャはお子ちゃまヨーガ」と言い切っています。
ハタは、物質性(われわれが生きるこの世界)を否定することなく解脱を見すえた、トータルなシステムです。
『ゴーラクシャ・シャタカ』は、ナータ派密教の教義をたった100(シャタカ)の詩に圧縮したハタ・ヨーガの根本教典です。
講義では、サンスクリット原文の全単語を分析したうえで、文構成をわかりやすく図示します。
こうすれば、サンスクリットに馴染みのないかたでも、正確な意味を把握することができます。
一応の訳を添えましたが、スタンダードとなる訳文をみなさんといっしょに練りあげていきたいと思っています。
『ゴーラクシャ・シャタカ』の注釈書『ゴーラクシャ・パッダティ』ほか、
『シッダ・シッダーンタ・パッダティ』、『ゴーラク・ボード』『ゴーラク・べーニー』などゴーラクシャに帰せられているサンスクリット、およびヒンディー語の文献を参照し、
またゴーラク伝説も紹介して、
ゴーラクシャのハタ・ヨーガを徹底的に解剖したいと考えています。(伊藤武談)

ハタヨーガの事実上の開祖といわれるゴーラクシャ・ナータ。その生涯は、謎に包まれています。
幻とまでいわれた、サンスクリット語で記された教典『ゴーラクシャ・シャタカ』。
この度、原本がロンドンで発見されました。伊藤氏がとあるルートから入手、翻訳を終えました。
直訳は日本初、ではないでしょうか?
『シャタカ』の解説書『ゴーラクシャ・パッダティ』もサブテキストに用い、教典を自分の言葉に変換し、拝むものから、道具へと変えていきましょう。
連続性のある講座です。
定員に達した時点で、開講とさせていただきます。

『ゴーラクシャ・シャタカ』より抜粋。
・ヨーガの肢《アンガ》は、
⑴ アーサナ(坐ること、在ること)
⑵ プラーナ・サンヤーマ(生命風を制御すること)
⑶ プラティヤーハーラ(感覚入力を遮断すること)
⑷ ダーラナー(意識を集中すること)
⑸ ディヤーナ(その集中の状態が持続すること)
⑹ サマーディ(聖なるものに没入すること)
の六からなる。⑷ …伊藤武訳

全10回の講義を通し、
・サンスクリット語経典の解読法
・ハタの原形と歴史的背景
・アーサナの際のプラーナ操作
などを学んでいきます。

◎日時:a.第一土曜日18:00~21:00
b.第三日曜日14:00~17:00
※両講座とも、振替可能です。お申込の際はa.bどちらかをお選びください。
◎会場:杉並区内の公共施設
◎受講費:a.b各45,000円(全10回.分割可)
※伊藤氏直訳のプリントをお渡しし、後に冊子にしてお配りします(受講者のみ対象)
◎定員:各講座8名
希望者が多い場合c講座(土曜日午後)の開講も考慮しています。
お気軽にご相談ください。

お申込お問合せはYAJ→yaj612@gmail.com までどうぞ。

</転載>

以下は本文と全く関係ない動画です。

オープニングで大量の仏像が一斉に動き出すみたいで面白いっす。

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『尸林のダーキニー会』のお知らせ

身体を動かすのがハタヨガだとか
ラージャヨガとはヨガの王をのことだとか
ヨガをしているとベジタリアンじゃなければならないとか
バンダっていうのはともかく締め付けることだとか
日本の都会に住みながらヤマ・ニヤマが実践できるとか
インド武術や身体鍛錬法を元にした、動きとポーズと呼吸を合わせたものをヨガだと思っているとか

そんなほとんどのヨギーニちゃんたちが当たり前と思っていることが
『実は、みんな間違っているんだよ
 なんで気が付いてくれないんだ!』

と血を吐くような思いで訴えているのが「たっきょさん」なのです。

ひょっとしたらあなたが無意識に見ないようにしていたことを白日の下に曝すのが
『尸林のダーキニー会』です。
尸林とは何?、ダーキニーって美味しいの?
とかいうことはたっきょさんに聞くと喜んで教えてくれます。

以下はそのご案内です。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

こんにちは。‘日本ヨガ界の魔縁’たっきょこと岸川卓巨です。

去年もやった『尸林のダーキニー会』をまたやります。

3月6日(日曜)15:00~20:30くらい。その後2次会?もあります。3次会?もある予定です。

場所は昨年と同じ市谷の燕スタジオ

http://www.yogaroom.jp/tsubame/

申し込み先は後日あらためてお知らせします。

参加費は基本的にありませんが、例によって会場費を俺も含めた全員でワリカンにさせていただきます。ちなみに去年は1000円前後ってところでした。その金額もキツイって人がいたら云ってください。タダにします。
子供がいるから来れないって人、連れてきてください(いちおー事前に知らせてください)。
そう都合よく時間を調整できないって方、途中参加でも構いません。腹を立てて途中で帰るのも結構です。夜10時でいったん区切りますが、セッションは最終的に場所を移動しつつ朝まで続きます。

で、去年と同じように、『尸林のダーキニー会』の口上文というか趣旨を書きました。
思いがけずかなり面倒くさい長文になりましたが、まあ来る来ないに関わらず一たびこれに眼をとめたなら、時間を見つけて最後まで‘‘ちゃんと’’読んで、それで何か考えていただけたらありがたいと思っております。はい。

俺はハタ・ヨーガというヨガを中心にしてヨガを実践しています。

アーサナという身体をもちいたシンボル、あるいはサイン、あるいは‘箱庭’を使ってそこで得たもの、感じたもの、知ったものを現実世界へ、もっと大きく云うと宇宙まで敷衍して、あるいは逆に世界や宇宙をアーサナを使って自分の内へと落とし込む。・・・そういう類のヨガをやっています。

ハタ・ヨーガはけっして、写真やデモンストレーションを参考にしながら、千差万別の人の身体を万人共通に設定した正しい形や完成形なるものにアジャストなどという強引な手を使ってまで無理やり近づけていこうとする類のヨガのことではないです。

アーサナとはいわば器(うつわ)です。けっして難易度を競ったり、解剖学的に照らし合わせて作り出した‘完成形’なんぞというものを目指したり、その難易度を競ったりするためのものではありません。
それはあくまでその中に‘ 何か’を入れて初めて意味をなす器なのです。

アーサナという器のなかにいくつかの要素を盛り付けします。その盛り付け方にはあるルールが存在しますが、それを知る者は少なく、またそれはこの口上文の中で語るようなことではありません。

盛り付けるものはこの世界にあるおよそ‘全ての’物事です。そしてそれを器に乗るように加工するやり方もまた、それを知る者は少なく、またそれはこの口上文の中で語るようなことではありません。

要するにアーサナは、そこに何を盛り付けるかを知らなければ、それはただの空っぽな器でしかないのです。

おそらくはそれを知らぬ多くの指導者は、そのアーサナ(ポーズ)の空虚さや物足りなさを埋めるために、替わりにそこに解剖学のノウハウだのボディワークだの身体操法のメソッドだのをはめ込み、現代社会を生きるうえでまったくリアリティのない(つまり誰も自己満足を超えて本気で遵守する気のない)絵空事のような哲学や経典の暗誦をトッピングし、果ては人間を昼寝の夢の中に閉じ込め続けるだけのくだらん自己啓発まで仕上げにふりかける。。。引き寄せだかポニョポニョだかヒーリングだかなんか知らんが、そんなのヨガとは何の関係もないでしょう?ヨガだからべジ?いったい何のことだ?

ヨガっていうのは、フィットネスとボディワークと偏食と自己啓発その他お好みトッピングを組み合わせた単なる総体のことなのでしょうか?

例え話なんてのもまた虚しいっていうのを承知の上で、敢えて皮肉としてジャンキーな食べ物に例えてみましょう・・・

おにぎりの具に、そこらで買ってきた添加物だらけのハンバーガーをまるごとブチ込み、その上にシロップとマヨネーズをかける、だがベースはカレー味・・・そんなもんが本当に美味いのでしょうか?

ヨガなんていうのは、現実社会というしょっぱい梅干や辛い明太子みたいなオカズをまるごと美味しく喰らうための『真っ白なご飯』なんじゃないでしょうか?

白いごはんは何でも受け止めてくれるから、納豆だろうがハンバーグだろうがお好み焼き!?だろうが、まとめて喰らうことが出来る。実生活の中に生きるヨガっていうのはそういうことではないでしょうか?

だけど、グロい変態おにぎりなんざ、それだけでもう勘弁なくらいにおなかいっぱいで挙句に胃もたれまで起こす。そのうえそんなのが、現実社会の梅干や明太子や胡椒なんて受け止められるのでしょうか?

だから、グロ変態おにぎりヨガにハマった人々は、本来は生活を支えるベースになるはずのヨガを、逆にむしろ生活の最重要要素にまで押し上げてしまう。
胃もたれするような濃い味の主食にはなれど(俺はとてもそんなもの喰らう気にはなれんが)、他の生活全般を支えるような広範な底力は持ち得ない。もうそれだけで刺激的すぎておなかいっぱいになってしまうから。。。

そんなジャンキーなものをいつまでも食い続けていれば、ヨガの為に仕事を変えただの、仕事を辞めてインドに行くだの、有名イントラを追っかけて一年中海外リトリートで呆け続けるだの・・・まるでヨガやるために生きている・・・っておかしいだろそれ!?ヨガ漬けの毎日!?ヨガどっぷり!?

・・・とまあ、残念ながら、本来のヨガの考え方とは全く逆を往くそんな本末転倒な事になるのは当然のことでしょう。

本来、今自分が居る場所を、自分の見方を変えることによってそこを楽で充実した世界に変える・・・いや世界を変えるんじゃない、世界を変えようとせずに‘世界の見方を変える事’によって、自分の感じる世界を反転させてしまう、そういうのが本来のヨガの考え方なはず。

けっして世界を、自分の今いる環境を、強引に捻じ曲げ変える為のものではないし、またそうする事を正当化する口実に使う為のものではありません、ヨガは。

言葉を変えてもう一度言いましょう。

ヨガは社会から逃げ出したり、現実から眼を背けることを正当化する為の口実ではない!
社会や状況と真正面から対峙して、現実を凝視し続ける為の、そのやり方を教えてくれるテクニックがヨガなはずです。

冷静に考えてみてはどうでしょうか?

あなたたちが尊敬し目標とするヨガの偉い先生達は、サントーシャ(足るを知る)だのバイラーギャ(離欲)だのを語りながら今だに売名と営業範囲の拡大とステイタスの上昇にやっきになり、シャウチャー(清浄)やブラフマチャリア(禁欲)を語るおエライ先生は浮気で嫁に三くだり半を叩きつけられる・・・

アーサナの鍛錬を通してそれらの美徳を身につけた筈のセンセイがたは、ポーズやシリーズがどこまで進んだかにこだわり続け、段階分けされた指導者資格(これもそもそもおかしな話だ)を次々と取得し、与えられたオーソライズだのサーティフィケーションだのインスパイアドだのという虚しい肩書きを自己のアイデンティティにしてそこに依り続ける。。。

そういう肩書きは自分が学んで努力してきた結果として付いてきたものだと云う人もいるかもしれません。しかし、そんな肩書き付きのコースになぞ乗らなくても、ヨガはいくらでも学ぶことが出来るし、だいいち、経験や学びの深さに関係なく、コースに参加し、ある一定のカリキュラムをこなせば認められるって・・・ヨガってそんなものなのでしょうか?

そういった肩書きを提示して、取得してきた免状を羅列しないと、客?が集められないのだろうか?最初にアクロバティックなポーズのパフォーマンスを見せないと、自分の言う事やる事に説得力を持たせる自信がないのだろうか?

あの人たちは、難しいポーズやムーブメントが出来るからすごい先生なのだろうか?

オーソライズとかいう、何の根拠もない免状を持っているから尊敬されるべき先生なのだろうか?

そしてあなたたちは、そういう肩書きを持っているから、無条件にすごい先生と認めちゃうのか?

どっかのサイトにすごいポーズをとってる写真が載っていたから、あなたにとっては尊敬すべき先生なのか?

あなたたちが、今までとこれからの長い時間と金と労力を注ぎ込んで、辿り着きたい場所、なりたい姿が、本当にそれらの人々なのか!?

・・・もしそうだというならそれはそれでよいでしょう。世界中を回りながら各地の参加者に、まるで世界の苦悩や悲しみに染められた半面を一度も見たことがないような人懐っこい笑顔を浮かべながら、世界の楽しさや喜びに染められた半面しか見たことがないような素晴らしい話しをしてくださる、とてもマネできないような超人的なポーズだかビンヤサだかのオマケとして・・・
そんな素晴らしいプロヨガプラクティショナー。。。

遠い国の苦しんでいる人々、泣いている人々に遠い場所からそれはそれは慈悲深い同情の眼を差し向け、遠い場所からいくばくかのお金を寄付し、遠い場所から彼らの為に瞑想し祈る、近くで人が見ている所で。
そんな素晴らしいヨガ界の成功者。。。

いくつになっても向上心だとか達成だとか成功という言葉をけっして忘れない、教え子たちにもそれを一生手放すなと教える、
そんな素晴らしいヨガ実践者の手本。。。

・・・そんな生活にあこがれて、是非そうなりたいっていうんなら、それはあなたの勝手だ。
俺のことも、俺が言ったこともどうか忘れてください。

そしてこれからもポーズの練習と、より早く効率的にそれが出来るようになるための情報収集に自分の情熱と時間を注ぎ続けてください。ヨガ哲学の本や経典を空読みする満足感に浸り続けてください。
将来はそれで、同じ嗜好をもつ人たちに対して、ほんの少しの優越感を感じながら、かなり大きな自尊心を、やっぱりほんの少しだけ満たし続けることが出来るでしょう。。。

もしまだヨガブームが細々と続いていたら、あるいはそれがメシのタネになるかもしれません。

そしてやはり、いつでも自分のいる環境や仕事、役割やコミュニティから逃げ出したくなった時に、あなたのいうヨガは、その根拠と、さももっともらしいその理由を提供してくれる便利な‘保険’であり続けてくれるでしょう。

だけど、インドの人々は、その程度の安心を得ることを目的として、その程度の人間になることをゴールにして、何千年もかけてこの哲学を練り上げたのでしょうか?俺はそうは思いません。てか、あなたがただってそうでしょう?そう思ってるんですか!?インド数千年の練成の到達点が、カリスマと呼ばれる大きなスタジオを持つヨガインストラクターだとでも?サーティフィケーションとかいう肩書きを貰ったアクロバットパフォーマーだとでも?優しい笑顔をたたえながら遠くの国の苦しんでいる人々を瞑想のダシに使ってフィーをいただくナントカヨガ創始者だとでも!?

では、ヨガが目指すもの、それが本当にこの現代で生かされる姿とは、いったい何なのでしょうか?

アサナの練習を通じて云々などというお決まりの常套句は

「それってどんな習い事でも一緒でしょ?」

の一言で一蹴される。それがヨガである必要なんかない。

では、ヨガの専売特許とは?、そもそもヨガって、一体なんなのでしょうか?

自分にとっての、自分の生活における‘ヨガ’という言葉の意味を、一度は徹底的に問い直してみませんか?
テクニックとしてのヨガが立ち現れるのはその後です。
そうしてはじめて、そこで自分に必要なものとそうでないものの取捨選択をすればよいのです。

『ヨガなんてひとそれぞれ』

という言葉は、その段階においてはじめて成り立つもの。
間違っても、テキトーな運動やインド風味に仕上げたボディワークを‘ヨガというブランド’として承認させる為の便利な逃げ口上なのではないはずです。

現代の世の中と乖離して、そこに全然リアリティを見出せない化石のようなヨーガスートラ、カビの生えたヤマ・ニヤマ、日本では生存不可能なサニヤシン思想、・・・
それらを実際の俺たちの現代生活の前に引きずり出して、もういちどその生かし方、それに対する俺たちの態度を問い直す。
ヨガが単なる人生のヒマつぶしとしてのホビーでなく、それで現実世界を渡り歩くための、ズタボロになるまで履きつぶされる靴のように使い切るためにはどうすればいいのか?

それを俺は考えていきたいのです。

某ヨガのキャッチコピー?には

「99%プラクティス1%セオリー」

ってのがありますが、もしこれがトーマス・エジソンの言葉になぞらえたものなら、その本当の意味は、

「99%の実践(練習じゃねえぞ!!!)と1%の理論」

ではなく、

「たとえ99%実践しても、1%の理論(考えぬいた自分なりの決着)がなけりゃ、決して100%にはならない!」

なはずです。

テメエでちゃんと問いなさいと、考えなさいと。。。

もちろん、俺にはエラそうに人様にヨガを説く資格なんてありません。
だから一緒に考えたいのです。
だから場所代もみんなでワリカンなわけ。

それが『尸林のダーキニー会』の趣旨といえばそう。

「全てのインストラクター、ヨガクラス、ワークショップを皆殺しにする」

去年から言っているこれは、いわば決意表明ね。
あなたの信じているヨガも、好きな先生も、その場で殺されるかもしれない。
その覚悟があるんなら、3月6日にお会いしましょう。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

こんな暑苦しくめんどくさいことを言っているたっきょさんですが
じつは異性にもてるための「モテヨガ」の開祖でもあります。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=381969977&owner_id=4140745

受講生、随時募集中!
なんだって

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2010年12月26日 (日)

ハスタ・ムドラー

細胞の一つ一つにまで意識を向ける。

先生の動きにはその言葉通り、一切の無駄がない。
「茶道」の所作の美しさに重なって観える。

その「舞」は佛様への奉納の舞であり、修行そのものだ。
単なる民族舞踊ではない。

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佐保田鶴治先生の「続・ヨーガ根本教典」を開くと最初のカラー挿絵として『ハタ・ヨーガの開祖ゴーラクシャ・ナータ』が現れる。
虎の皮に座し、側には牛が草を食べている絵だ。

インドよりもネパールに彼の伝説は多く残っているといわれている。
ネパールのカトマンドゥや中国のチベットで発展した"後期密教"には
弘法大師空海が日本に持ち帰った密教、いわゆる"中期密教"とは異なる修行体系があるのだろう。
ゴーラクシャ・ナータのナータ派は後期密教とシヴァ教のタントラが渾然一体となっているという。
その後期密教でもチベット密教より正統というものがカトマンドゥに残っているという(伊藤武先生 談)

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ネパールの聖地「カトマンドゥ」
そこには日本に伝わることのなかった後期密教が残っている世界。
チベットが漢人達によって破壊されつつある今、貴重な聖地だ。

今回、縁あってネパールのカドマンドゥにおいてチャリア舞踊を修行されてきた
岡本Malla(マルラ)有子先生のチャリア舞踊とハスタムドラーを拝見する機会があった。

そもそもチャリアは修行が進んだ僧侶に秘密裏に伝えられるものであり門外不出であったにも関わらず
ほんの一時期、それを外部に伝えようとしたことがあったという。

外部の人間にチャリアを教えた3人のバジュラチャリア(金剛阿闍梨)達は現地の人から相当なバッシングを受けたという。
そして、今でも彼らを悪く言う現地の人々がいるのだと。

  バジュラ=金剛 チャリア=阿闍梨

阿闍梨(あじゃり、あざり、サンスクリット:アーチャーリャ、阿闍梨耶とも音写)とはサンスクリットで「軌範」を意味し、弟子たちの規範となり法を教授する師匠のことである。(wikipediaより)

天台密教では千日回峰行の大阿闍梨が有名だが
チャリアヌリテ(チャリア舞踊)に該当するものが日本の密教にもあるのだろうか?

ゴーラクシャ・ナータもチャリアヌリテを舞っていたのだろうか?
そういえばダンシングシヴァの象をナタラージャと呼ぶけどひょっとしてナータ派のラージャ(王)?
# とこじつけてみるw

さて、そのチャリア舞踊はこんな感じ

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昭和の香りのする古ぼけた公民館の一室だけどその場は別世界だった。(この写真だけ、黒板にはオーブが…)

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佛象は印を結んでいるが、その舞の中であるいはお話しをされているときに佛様を表すときには手が無意識にその印を結んでいる。

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先生はご自身の舞を「ネパール民族伝統舞踊」とweb-siteで紹介されているが、正確には佛様に奉納する舞だった。

手の動きはムドラー、足はアーサナと言われていた。
ヨーガのように座方をアーサナと呼ぶのではないようだ。

舞を拝見した後に、簡単にハスタ・ムドラー(手印)の練習と16女神のムドラーを見せていただいた。

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上の写真、手のひらの中央部あたりから人差し指が曲がっている(^^;

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サラスワティ(弁天)の印は左手の中指と薬指を曲げてその指先を親指の指先に触れるようにする(けど実際には触れない)
人差し指と小指は少し伸ばす(琵琶の弦を押さえている姿)
右手は親指以外の指で"おいでおいで"のような動作を行う(琵琶の弦を弾いている所作)
耳は、琵琶の音を聞き入っているので心持ち顔を傾ける。(写真はその直前の姿)

22これはバンスリー(竹笛)

23taiko 

横から叩く太鼓

24taiko小さな太鼓

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チンチュ(チベットではティンシャ)26mara

マラ(花の首飾り)

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歌の女神

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踊りの女神

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蓮の花

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お香

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ヴァジュラ

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ティカ(何のことでしたっけ?)

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ヨーギニー

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触覚(お釈迦様の降魔成道の像によくあるポーズ)

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地殻?(子宮)

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という感じで短い時間だけれど濃い内容でした。

道場が近ければ通いたいっす。

ちなみに岡本Malla(マルラ)有子先生のサイトからチャリアの紹介文を転載させていただく。興味を持たれた方で真剣に修行をしようと思われたらきっとご縁が繋がると思う。

<引用:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2941/danceclass.html
カトマンズに古くから住んでいるネワ-ル族の仏教徒の中で、
最高位に位置するのが司祭、あるいは僧侶であるバジュラチャリアです。

ブッダを目指す彼らの様々な修行の中の一つが、
このチャリアヌリテ(チャリア舞踊)です。
かつてはその高度な教えという内容から、
未開帳な者に軽々しくこの修行を見せてはいけないと、
鍵のかかった秘密の部屋でのみ教えられていました。

ところが、いくつかの踊りが漏れ出し、
その後ホテルやレストランでかなり崩れた形、あるいはダンサーたち本人が
意味もわからないまま形のみを真似したチャリアヌリテが
何も知らない観光客の前で踊られるようになってしまったのです。
また、物質文明、貨幣第一主義の波がバジュラチャリアたちの生活にも影響を及ぼし、
修行に従事していられなくなったり、
子孫たちの興味の移行により急激な勢いで後継者がいなくなり、
1000年以上も続いてきたと言われるこのチャリアも
正確な形で踊れる僧侶さえも激減してしまいました。

その悲しい状態に危惧を持った3人の僧侶たちが
約40年ほど前、立ち上がりました。

心して学ぶ者を対象に、時と場所さえ見極めればその門を開くべきであると。


チャリアに精通していたその勇気ある3人のバジュラチャリアたちは
残念なことに私の師でもあるラトナカジ・バジュラチャリア(~1998)を最後に
全てこの世を去ってしまいました。

しかし、その師(グル)たちの意思をついで
何人かの若者たちが今もがんばって活動を続けています。
グルから許可を得た私もこうして日本に
チャリアの存在を知らせるべく
クラスを開いています。

このクラスはあくまでもまじめに通ってくださる方を対象に、
バックグラウンドの勉強やチャリアの歌の練習、
チャリアのメディテーションも織り交ぜながら
練習していくクラスなのです。
</引用>

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2010年12月12日 (日)

師走の一日のミクロな世界

免許の更新で朝一から運転免許試験場へ
日曜日に更新するのは初めてだった
8時10分には試験場に着いていたものの、駐車場にたどり着くまでが大渋滞
車を降りても、受付にたどり着くまで1時間も行列に並んだ。
おいら、ほぼ毎日のように運転しているけどゴールド免許なので受付が済めば早い
と思っていたけど、講習は30分なのに視力検査やら写真撮影が終わってから
講習が始まるまで30分近く待たされた(^^;

一旦、家に帰って現金書留の不在通知があったので郵便局へ
ここも窓口が大渋滞。
年賀状を売っているところとは窓口が別なのにさんざん待たされる。

その足で新設されたスポーツジムの入会説明に行く。
トレーニングマシンは充実しているしプールも25m×4コースある。
フットネススタジオも広々としている。気に入った!
入会の説明をよく聞いたら併設しているハウジングセンターの催しがあるので
月に2回は日曜日の営業をしないそうな。
日曜をメインに考えていたおいらはこの段階で×
どっと疲れが…

ここまでで午前の部終了

午後からは母親の買い物につきあって運転手に徹する。
4ヶ所程回ったらへとへと…

で、疲れたからなのかシャバーサナしていたらいつもと違う感覚があったのでメモ
肉体を置いて意識だけが広がって、まぁ宇宙方面に向かっていくことはあっても
その逆は初めてだった。
肉体が浮いていって自分の本質が沈んでいく。
というか、縮んで分子、原子、素粒子と細かくなっていく。
そして最後の素粒子の内側がまたひとつの宇宙になっている。
まぁ、小→大 |(何かの転換)| 素粒子 という方向しか感じられないのかと思っていたけど逆も感じられるんだってことで記念のメモでした。

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2010年12月 5日 (日)

急な忘年会のお誘い

昨日は仲良くさせてもらっているお客さんの忘年会に特別に呼んでもらいました。

場所は「なばなの里

13時に名古屋を出て1時間とかからずに現地着。
誰だ~「大渋滞で高速降りてから2時間はかかるぞ!」なんて言っていたのは?
とみんなでわいわい言いながら会場入り。
# 30分も経つと車も人もものすごく押しかけてきていた。我々は運良く早く着けただけ。
# こういう所は早め早めの行動が吉ですね。

カメラを持って行かなかったので携帯の写真しかないけれど雰囲気だけは感じてね。

まずはベゴニアガーデン
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上の写真はみんなベゴニアの仲間らしい。

紅葉もなかなか

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2時間ぐらい散策してから宴会開始

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この後、食べきれないほどのご馳走が出てきたけど写真はなし(^^;

味は、観光地ということで特記するようなことは何もなかったかな。

で、宴会が終わると陽が落ちて良い感じ。

都会の夜景は残業でできているけど、こういうところは素敵にできているよね。

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光のトンネルに入ると誰も彼もがカメラマン(笑)

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富士山は刻々とその色を変化させていくし潮騒の音も流れているしで

いくら見ていても見飽きないのですが、人波に押されて(^^;

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来たときとは別の光のトンネルを通ってメイン会場から脱出!

たまにはこんなご褒美があってもいいよね?

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2010年11月15日 (月)

ウディーヤナ・バンダからクンダリニー

ハタ・ヨーガ・プラディーピカ

3-55[ウディーヤナ・バンダ]プラーナはこのバンダ(縄)にしばられて、スシュムナー管の中をあまがけり上がるが故に、ヨーギーたちはウディーヤナとよんだ。

3-56 おおどり(プラーナ)が疲れを知らず大空にかけり上がることが、すなわちウディーヤナである。そのためのバンダを次に説明しよう。

3-57 ヘソの下から上に至るまで、腹部をひっこめる。このウディーヤナ・バンダは死に神である象を追い散らすライオンのようなものである。

3-58 グルの教えるところでは、ウディーヤナはいつも自然に起こる状態(イキを充分に吐き出した際に)である。
   怠らずにこのムドラーを修習するならば、老人になっても若々しい。

3-60 まことに、ウディーヤナというバンダはあらゆるバンダのなかで最上である。ウディーヤナ・バンダをしっかりと行ずるならば、解脱はおのずから来る。

シヴァ・サンヒター

4-72、73[ウッディーヤーナ・バンダ] ヘソの上も下も背後にむけて引きつけるべし。これがウッディーヤーナ・バンダ(内蔵引き上げのバンダ)であって、すべての苦の流れをなくする(72)。さらにヘソの上部の腹部(胃のあたり)をも背後へ向けて引きつけるべし。ウゥディーヤーナとよばれるこのバンダは死の象に対するライオンである(73)

ゲーランダ・サンヒター
3-10 (3) [ウッディーヤーナ・バンダ] (天かけりのバンダ、胃引き上げの体位)
  胃を背後へ引っ込め、ヘソを上に上げる。鳳が疲れを知らず天かけりをなすが故に、このバンダはウッディーヤーナとよばれる。この法は、死という象に対するライオンの如くである。

早い話が、胃のあたりをボッコーンと凹ませること。
おいらは息を吐ききって(この段階で背中を丸めて少し前屈みになる)
息を止めたまま背筋を伸ばしてあたかも肺に空気を取り込むように胸郭を広げる。
息が止まっているので広がった胸郭にはお腹の部分にあった内臓が引き上げられる。
この引き上げられた状態で10秒から30秒クンバカする。

アシュタンガで教えられた「アーサナの最中に腹部を締め付ける」ということを上記の聖典に則って胃を凹ませてできるだろうか?
ウッディーヤーナ・バンダしながら5呼吸なんてできっこない!

ムーラ・バンダ

本当はムーラ・バンダでもムーラダーラチャクラでもないのだけど、ムーラのあたりの話。
(ウッディーヤーナの話は単なる前振りね)

何人かの女性に聞いたところ「男性器」の生え方って誤解している人が多いみたい。
「女性器」つーか、まぁ膣の凹みが外に向けてというイメージなのか、身体の正中線に沿って股間から真下に生えているように思われている人が多いみたい。
実際には尾てい骨のあたりから犬が尻尾を丸めて股間に引き込んでいるみたいに股間をぐるりと回って前に出ている。
アルファベットの「J」のように左端が尾てい骨の位置、長い縦線がちんちんね(笑)
んでもって性的に興奮すると長い縦線が刺激をたくさん受けられるように、その体積を増やす。
性的に頂点に達すると「J」の最下部よりも外側にあるタマタマからエネルギーが噴出する。
そのエネルギーというのは「J」の字の左端、尾てい骨から股間の曲線に沿ってアールを描いて前方に向かう。
つまりエネルギーが背骨から下に降りて前面に向かい、前面の下から上に向かう流れになる。

さて、おいらはエロ話がしたいのではなくて(^^;
『クンダリニーのエネルギーは背骨に沿って下から上に流れる』というイメージがあるが、上記の性的なエネルギーはまるっと逆方向になっている。

だからヨーギーは性的なことを禁忌にしたのだとおいらは思うのだけど、実際のところはどうなんでしょうね(笑)




ヨーガ根本教典 (続)



ヨーガ根本教典

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2010年11月 1日 (月)

「『何処か』in魔界」の消滅

おいらの古いお友達には周知のことですが、おいらは某SF作家のコアなファンの一人でした。
ネット上でもまぁ最古参の一人としてその作家の公式サイトを中心とする衛星サイトのひとつとして
「『何処か』in魔界」というサイトを開設していました。

このたびinfoseekが無料ホームページ用レンタルサーバのサービス提供を終了したことで
おいらのサイトも消えてしまいました。
まぁ、ファンをやめてからおいら自信もほとんど訪れることもなかったし、たまに見に行くと
スパム広告で埋め尽くされていたのでよけいに足が遠のいていました。

なんつーか、またひとつ時代が変わったんだなぁと感慨深いものです。

もうひとつ「八百万の志」という非公開サイトも昔持っていたのですが、これもniftyのサービスで
非公開機能があったのにそのサービスが終了したことで自動的に消滅したものです。
当時の利用者であった友人達にひとことの挨拶もなく消滅したのが心苦しくて今になって言い訳しています(^^;
# だってそのサービスで利用していたメールアドレスがスパムで埋め尽くされていて
# サービス終了のメールを見なかったんだも~ん(^^;

このブログも最近ほとんど更新できていないけど、とりあえず生きてます。
もう、仕事が忙しくって休日は死んだように眠っています。

そうそう、この土日は名古屋でナマステ・インディアが開催されていたので
ランチにカレーでも食べようと思い立って行ったのに、土曜日は台風のおかげで
中止だったよ(T.T)

人生楽ありゃ苦もあるさ(笑)

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2010年9月26日 (日)

ハタ・ヨーガの起源

さて去年に引き続き9月の18日、19日と高尾山合宿でした。

高尾駅ではこんな女性専用車がお出迎え。天狗に乗ってどこへ逝くのでしょう(笑)

01

つーか今回の合宿は「天空を行くふつ~の人びと 84成就者伝」なので、そっちへ逝ってしまうのだ。

リフトに乗って天空へ

02

そもそもハタ・ヨーガと、スワミ系(なんとかナンダという名前)の人が伝えた古典ヨーガ(八支則のヨーガ)とは性質が全く異なっているのに同じヨガというくくりでスポーツクラブでヨガを教えるというなんだかよくわからないことに疑問を持たないというのも面白いものだね。

ちょっと整理してみる。

1.古典ヨーガ(八支則のヨーガ)
 ヴェーダーンタ哲学に基づいたジュニャーナヨーガ(バグティヨーガ、カルマヨーガ等もこの分類)
 ブラーミン等の高いカーストにのみ許された哲学(何千回、何万回と産まれ直す輪廻から外れる(=解脱する)ことを目的とする)

2.身体鍛錬系

 この動画の56秒ぐらいからはじまる太陽礼拝とか、まさに身体鍛錬系のヨガとして流通しているもの。
 B.K.Sアイアンガー氏も亡くなったパタビジョイスの爺様も、その師匠であるクリシュナマチャリアからたたき込まれたのはこの系統。
 日本でハタヨガとして教えられているもののほとんどが思想的には古典ハタヨーガで身体的には鍛錬系みたい
 (シバナンダアシュラムで教えているのも健康体操としてのアーサナにしか思えないんですが、反論よろしく>詳しい方)

3.(本来の)ハタヨーガ(力ずくでも解脱させようとするヨガ=古典的ヨーガのアンチテーゼ)
 タントラ(密教)ヨーガ。人間の身体を小宇宙に見立てて曼荼羅やマントラを使い、イメージ操作で大宇宙(あるいは大日如来等)と一体化しようとするもの。
 開祖は漁師(シュードラ:低カースト)のマッツエンドラ、広めたのは牛飼い(低カースト)ゴーラクシャ

ハタ・ヨーガを現在まで伝えてきたのは不可触民であったりサードゥだったり、(先日聞きに行った)バウルという吟遊詩人だったりといういわゆる低カーストの人々だと言われている。
低カーストと言葉を交わすことさえ嫌うバラモンがその教えを請うようなことをするだろうか?

ヨーガスートラを勉強し始めたとき、伊藤雅之先生の勉強会で古典ヨーガとハタ・ヨーガが別物であるとわからずに、自分の中で折り合いがつかずに気持ち悪かったのだが今ではヴェーダンタ哲学も面白いしハタ・ヨーガも面白い。

さて、高尾山合宿である。
上記のハタ・ヨーガ初期のマッツエンドラ、ゴーラクシャ、チャウラーンギ
チベット佛教のクリシュナチャーリン(サキャ派の始祖)、ティロー、ナーロー(カギュ派)。いやぁここで彼らの話が聞けるとは思わなかった。
彼らにタントラを教えたであろう尸林の魔女、正邪・善悪・美醜・上下等の二元論を超えるために行った秘密の教え(ここには書かないよ~ん(笑))
何故ふつ~の人々が成就できたのか等々
こういう話はそこらへんのワークショップやらリトリートやらでは聞きたくても教えてくれる先生がいない、というか知識のある先生がいないからね。
もっとも、話を聞いてもおどろおどろしい部分だってあるから性に合わない人だっているだろう。
前回聞いた、一角仙人の話をちょこっと話そうとしたら「熊にイチモツを食べられてしまって傷になったところにチンコを入れて復活させる。」
こんな話だけ聞いたら同性愛の話かと思って引いてしまいそう(笑) シモネタはイヤっていう人だっているだろう。
しかし高野山で毎朝唱えられている理趣経なんてセックスヨーガそのものだし、空海さんこそタントラ(密教)における日本の第一人者なのだということを忘れてはならない(笑)
曰く「男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である」
ま、物事がそんなに簡単だったら最澄さんと仲たがいすることもなかったんだろうけど。
物事を簡単(シンプル)にイメージングする。ってこともハタ・ヨーガの基本なんだけど、いろいろと難しいモンですね(笑)

と、まぁ講義あり、カラリパヤットの体験ありと、去年あって今年なかったのは満月瞑想。だって空を見上げても半月だから。(半月瞑想もなかったです)
カラリは去年に続いて右足太股が痛い。3~4日経つと太股内側に内出血が…
どこの血管がブチ切れたんだろう?

カラリには関係ないけど右の耳が倍ほどに腫れ上がった。
まるでどこかのコメディアン(マジシャン?)みたいだ。
耳の下あたりに膿が溜まっているみたいで顔の右から上、頭痛が痛い。
最近YAJの集まりに顔を出すと覿面に体調が悪くなるのは何かあるんだろうか?

翌朝は本堂でお勤め、そして周りのお堂でも読経。
去年は周りのお堂での読経は外から見ているだけだったのが、今年はお堂の中に入れていただいた。
お勤めの後、例によって弁天様の洞窟へ
おいらは、ここがあんまり気持ちよくないので鳥居の外で待機。
戻ってきたカエちゃんはリバースしそうな真っ青な貌だった。

07

帰りの地獄行きゴンドラ乗り場。日本一急角度なんだそうな。

09

あと、食事

初日の昼、高橋屋での蕎麦

03  04_2

初日夜(豪華、お膳からあふれるほどのおかず(デザート))

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2日目朝がゆ(めちゃうま)

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2日目とろろそば

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そうそう、カラリ関連でこんなのを見つけました。
マルマについて語っていますよ(ほんの少しだけね)>関係者

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2010年9月13日 (月)

HARI BAUL

ハリ・バウルなのかボウルなのかはっきりとは聞き取れなかったけどたぶんボウルだと思う。HARI BAUL
で意味は「イェーイ、やったね」「ん~最高」ぐらいのニュアンス

バウルが演奏や歌を気持ちよくやれた時、Hari Baul! と声にする。
観客も、それに応えハリ・ボウル!を叫ぶ!

ロックコンサートの「ヘイ!」の応酬をイメージすればわかりやすい。
(前回のYoutubeでも最後にハリ・ボウルを口にしている)

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それは、山の中のキャンプ場のような場所だった。

あらかじめネットで調べたこの場所は高齢者の看護施設のように思えたが、それはほんの一部でしかなかった。
コンサートで使われる、一番大きな施設は幼稚園のようだ。

「森の中の施設」という雰囲気で、一緒に行ったchiekoちゃんは
「化繊の服なんか着てちゃダメ!って言われそう」と感想をポロリ
ロハス大好きな人やら「地球に優しく」なんていう人には理想の空間なのかもしれない(^^;
# まぁ実際、居心地は良かったんだけどね。

お客さんは二百人くらい入っていたんじゃないかな?
半分は幼稚園関係者(幼児含む)だと思うけど(^^;
# スタッフがインドっぽいというよりヒッピーぽくって笑えてきた。

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バウルの唄は出だしから大きな声で飛ばしまくる。
しかもスピーカーの正面に座っていたものだから耳が痛くなるくらいだった。

でも、そんなことよりも彼らの演奏や歌が押し寄せてくる。
なんというか、巨大なエネルギーが彼らの中から渦を巻いて湧き上がってくる。

なんだろう、昔の旅芸人のビジョンが湧く。
ジプシーであったり白拍子であったり、ともかく漂泊の旅芸人だ。
旅先の人々に迎えられ芸を披露し、いくばくかの糧を得る。

何物にも束縛されないが、差別や迫害はある。
自由に生きるのは自由に死ぬことの裏返しだ。
明日を思い煩うこともなければ、過去の栄光に浸ることもない。
目の前に在る事実をあるがままに受け止める。

見栄や欲望や、不要なものをそぎ落としたその生活が
この世を十分に楽しむのに過不足などない。

彼らの唄の中に「イダー、ピンガラ、スシュムナー」という単語が現れた。
クンダリーニー・シャクティ、チャックラも

ハタ・ヨーガで身体を通して宇宙をイメージするように
彼らは音楽を通して身体の中に神を観る。

彼らの演奏にどっぷり漬かった今、インドの懐の深さを思い知らされたような氣がする。
そこらのスタジオヨガなんかよりよっぽどヨーガの本質が伝えられている。
つーか、タントラそのものだった。

願わくば少しでも多くの人が彼らの唄を体験できますように。

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2010年9月11日 (土)

チープだけど大好きだったなぁ

ぐぁ、こんな時刻になにやってんだか>おいら

ちょっとネットで紹介されていたのを見ちまったら

芋づる式に

あ~

終わんね~

鉄腕アトム 実写版

鉄人28号 実写版 オープニング

実写版 鉄人28号
# ブリキ人28号だよな(笑)、でもって アドヴァイザー:星新一のクレジットもあるぞ

少年ケニア

まぼろし探偵

怪傑ハリマオ

ナショナルキッド

少年ジェット

月光仮面

七色仮面 スリーエース

忍者部隊月光

海底人8823

「アラーの使者」千葉真一

河童の三平妖怪大作戦

悪魔くん
好きだったなぁ

うわ~、こんなのもあるんだ(笑)
ケペル先生 オープニング

早く寝ろよ>ぢぶん

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2010年9月 6日 (月)

バウルの唄

インドではご存じの通り、カーストと呼ばれる身分制度が残っている。

王族や戦士階級の「クシャトリヤ」はきっと
敵をどうやったら倒せるか
どうやれば効率よく人体を破壊できるか
どうやれば相手に苦痛を与えられるか
なんてことを一日中、毎日毎日、それこそ何年も何十年も考えていたのだろう。

日本の武道でも同様だ。
武道は「人格形成の手段」ということも言われているが、自分の技が相手に通じないような素人がそんなことを言っても誰にも相手にされるわけがない。
ある程度の実力は必要だし、そのためには「どうすれば相手に有効な攻撃を与えられるか」ばかり考える時期は必要だろう。
その時期を経験したことがないというのであれば、それは産まれながらの超達人か「人格形成の手段」とは無縁の人なのではないだろうか。

さて、では「ブラフミン」であれば儀式を執り行う以外にも「自分とは何物なのか」という命題を考え続ける時期が必要なのだろう。
ヴェーダーンタはその中の教科書のひとつだと。
でも、「自分とは何物なのか」を考えるのはブラフミンだけが行ってきたのではない。
お釈迦様は「クシャトリヤ」の出自だし、ニサルガダッタ・マハラジはタバコ屋の親爺だ。

カーストに関係なく自分を見つめることは在る。

そんな人達の中でカーストを否定して「私」が何か知ることができれば、この世界のすべてをわかることができる・・・
そう考える人達がいる。

ベンガルの吟遊詩人達、バングラーの民謡を歌い継ぐ人達、それがバウル

日本人でありながらバウルとして暮らしている数見まきさんの文章を孫引きしておく

<引用>
ベンガル文化の象徴である「バウル」 ・・・・  

「バウル」とは、経典を持たず、規制のあらゆる儀礼や、宗派にとらわれることなく、人間の身体こそが神の住む神聖なる寺院であると言い、この身体に住む絶対的存在である「心の人」との融合を求めます。 経典を持たぬが故、バウルの唄には、バウルたちだけがわかる「かくしことば」で、修行の内容が表されています。そして、その「心の人」への思いや、神秘体験を、これ以上シンプルにできないと思うような楽器を使って唄います。 その素朴な楽器の音色は、私たちのの身体の中心に振動します。

――中略――

 バウルは、「私」を見つめることにより、「私」が何かを捜し求めます。「私」が何か知ることができれば、この世界のすべてをわかることができる・・・とバウルは言います。
 バウルはカーストも認めません。人種、宗教・宗派、人と人とを分け隔てるものを認めないのです。
捜し求める「私」が何かを知ることが出来れば、それがすべての人とつながっていることを知るでしょう。

現在、バウルは、世界文化遺産に指定されたと聞いています。彼らの中の古顔たちも、ぽつりぽつりと亡くなりつつあり、そんな中、ベンガルの若者たちは、ますます西洋化される音に染まりはじめています。
 けれども、私は、ベンガルの「バウル」が、過去から非常に新しくラディカルなものとしてあったように、これからも迎えるべき時代を牽引していくことに期待しています。私たちが造っていかなければならないのは、金銭が中心でない、自然の一部である人間として、ありのままの自己の存在を問う生き方であると思います。
</引用>

数見まきさんのブログ
http://www.shukousha.com/column/baul001.html

バウルの唄のHP
http://baul2010.web.fc2.com/

来週は彼らの唄を聞きに行く予定です。

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2010年8月30日 (月)

ヨガする私

物事ってやつはやり始めたときはわけがわからなくても勢いで突き進む部分があるけど
少し状況が見えるようになると何がわからないかがわかるようになる。

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そんなわけで、ヨーガという言葉の意味がわからなくなってきた。

ヨーガって「繋がる」「合一する」とか言われているけど
そもそもヨガするって何だ?
みんなヨガしてるっていう時は何かと繋がっている?
あるいはヨーガ・スートラで言われるようにサマーディに至っている?

そうではない状態を指して「ヨガやってま~す」って言える?
それ以前に「ヨガ教えてます」って人達は何を教えているんだろう?
これから習おうとしているのなら教えている人に聞けばいいんだろうけど
今のおいらが聞いたりするとイヤミだよなぁ(笑)

語義通りなら極論として「ヨガする」=「神そのものになる」
だよね。

この世(宇宙)を作り直すことすら可能なタントラの世界。
だけど、そんな超能力がほしいわけでもない。

下らない政治屋が政権の中央に座っていようと
近隣諸国が捏造した歴史観でたかりに来ようと
貧困で病気や飢えにより子供が何人死のうと
暴力や軍事力の犠牲になり殺される人々がいようと

おいらはきっとこの世(宇宙)を作り直すことなぞ望まないだろう。
もし望むことがあるとすれば、愛する人を目の前で失ってしまったとき。
時を巻き戻し、目の前に幸福の幻影を作ろうとしてしまうだろう。

それこそが執着であり、そんなものから離れることがヨーガ聖典の教えなのだけど
子供でもわかるそのことがいかに難しいことか!
簡単にできないからこそ「それ」に向かうんだけど…

誰か簡単にできる方法を教えてくれないかなぁ(^^;

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2010年5月30日 (日)

瞑想の一歩手前

仕事が忙しくてブログの更新をする気力もありませんでした。

ま、商売なんてものは他人(ヒト)様のお役に立ってなんぼ。
それが必要な物資だったり、知識だったり、心安らぐ時間だったり、わくわくする時間だったり
有形無形の事柄が金銭に変わっていく。
三億円の宝くじが当たる人もいるけど外れクジを買った人の総額はその何倍にもなるわけで
胴元だけが儲かるのがギャンブルとわかっているのに「夢を見る時間を買っている」人々もいるわけです。
夢を買っていただくとはいい商売ですね。
頭のいい人はこうやって儲けているわけですが、頭の悪いおいらはサラリーマンなんぞをやっているわけで…

泣きが入ってもやらなきゃならないミッションというのもあると。そういうわけです。

でも、まぁなんとか一段落しそうなのでぼちぼち再開していこうと思います。

さて、その泣きが入る状態でもヨーガを志す者の末席にいるのだから、毎日少しでもヨーガをしていました。
んーーーんと伸びをするふりをしてムーラバンダ・ウディアナバンダを締めるとか
一分程度の休憩でプラーナーヤーマをするとか(^^;

そもそもヨーガの究極の目的は(何度も書いていますが)「チッタブリッティニローダ
 いかなる時でも心が平安であること。
 ・いかなるストレス下であっても平静でいられること。
 ・たとえ炎に焼かれても、手や足をもぎ取られても平静でいられること。
 ・愛する人が目の前で殺されても平静でいられること。
 等々と言い換えることもできます。

でもねぇ、ちょっと仕事のストレスが強まって睡眠時間が2~3時間なんて日々が続くだけで全然平静でいられないわけです。
解決しなければならない問題は毎日多発し、しかも解決する問題よりも発生する問題の方が多いわけでちょっとしたパニック状態!
どの問題も「自分こそが最優先に解決しろ」と自己主張が激しいわけで…

目を閉じて瞑想しようとしても脳裏にはその問題が何度も現れて瞑想ではなく思考に捕らわれるだけでした。
もし人の心の状態をイメージとして見ることができるのならきっと
「鳴門の渦巻き」とか「バーゲンセールに向かう主婦の群れ」とか「ラッシュアワーの満員電車」とか
そんな混沌としたものが見えるに違いない。

そう思ったらハッと気がついた。
もし人の心の状態をイメージとして見ることができるのなら

すかっと晴れ渡った青い空

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に見えたらどうよ?











別に「海」

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だっていいし











「雲海」

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だっていい











「山」

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や、











こんな「山」

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でもいいじゃん。











ちょっとイメージを脳裏に浮かべるとさっきまでざわついていた「思考」とやらが一気に落ち着いた。

本格的な瞑想をする時間がないときでも、こんな「観想」なら簡単にできる。
ま、知っている人にはあたりまえのことかもしれないけど、ちょっとした小技を見つけたみたいな気持ちなのでした(^^;











ちなみに

「緑」

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も、いいし











「月」

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もいい。











「地球」

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もいいでしょ。











「日本」

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だけをイメージするのもあり。











もっと遠い「宇宙」

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を観るのもいいかも。











こんな風に景色にぽっかり浮かんでいるのもいい感じ。

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こうやって観想することでだいぶ助かったんですよ。

今夜の気分にぴったりのおまけのBGM
諫山実生-月のワルツ

この曲、癖になるんだよね。もう何度も何度もリピートしながら今日のエントリーを書いたのでした。

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2010年3月15日 (月)

マンモン神の徒

おっぱいを潰して癌検査するやつ>マンモ
じゃなくて強欲の神ね。>マンモン神

やれリストラだ、就職氷河期だといわれる昨今、
それに追い打ちをかけるように我々の税金を馬鹿みたいに海外の子供達に配るなんていう大馬鹿総理の政策にはクーデターでも起こせばいい。
あ、そういう話じゃなくって(^^;

資本主義社会の勝ち組ってやつは多かれ少なかれこのマンモン神の信者でなければならない。
で、前回の「インド政府公認ヨガインストラクター」にコメントしてくれたぶんちゃんへのRESになるんだけど…
インド政府公認資格といううたい文句を信じてそのTTを受講することってあると思うんだよね。
個人営業のヨガスタジオのTTCと比較したら「インド政府公認」というブランド名は強い(笑)
で、実際にはそんな資格は何の役にも立たなくて…
それでも何十万という銭を使って勉強したわけだから自信を持って履歴書に書くと。
そんなこともあると思う。ご本人にしたら悲劇だね。
つーか、こういう資格講習を売り物にする方が商売人として上手(うわて)なんだろうと思う。

フィットネスとしてなら解剖学とか、ポーズの名前とか求められる効果とかを習うのもありだと思う。
でもヨーガってそういう物質的な世界の話じゃないよね。
精神世界(スピリチュアル)な伝統文化を金銭をもって伝えてはならない。
インドにはそういう考えがあるという。
そりゃあそうだ。
銭金を主に考えたら資本主義社会や物質文明の話になり精神世界ではなくなってしまうもの。

ってことで、マンモン神の徒にはなりたくないってことです。

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2010年3月14日 (日)

インド政府公認ヨガインストラクター

mixi見てたら
>今年初めて日本にてインド政府公認のヨガ検定が実施されることになりました!
なんて言葉が目に入った。

そういえば「インド政府公認」ってヨーガを始めた頃よく目にしたものだった。

気になったのでタイトルの情報で検索するとやたらとヒットするなぁ(笑)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=0&oq=%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e6%94%bf%e5%ba%9c%e5%85%ac%e8%aa%8d&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ACAW_jaJP336JP345&q=%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e6%94%bf%e5%ba%9c%e5%85%ac%e8%aa%8d%e3%83%a8%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%a9%e3%82%af%e3%82%bf%e3%83%bc

ヨーガの資格についてインド政府が公式に認めたものなんて存在しない。
騙されないようにね。

以下は例によって「H&H バンコクの仕事 / ロナウラ系伝統的ヨーガ」からの引用です。

<引用:http://hhyoga.blogspot.com/2010/03/blog-post.html
日本で流通している目先の「ヨーガ情報」だけでヨーガについて
判断するのは、まったく不十分ですし、たいへんキケンなことです。

 
インド政府の政策レベルで「ヨーガ」を統括しているのは、
厚生省AYUSH局(
http://indianmedicine.nic.in/ )の
次の2つの組織です。
 
・Morarji Desai National Institute of YOGA (MDNIY)
「モラルジ・デサイ・国立ヨーガ研究所」
http://www.yogamdniy.com/index.htm
 
・Central Council for Reserch in Yoga & Naturopaty (CCRYN)
「ヨーガ&自然療法・研究中央審議会」
http://www.ccryn.org/
 
   
この「MDNIY」にも「CCRYN」にも、
「インド政府認定」の「ヨーガ資格」という制度などはありません。
    ましてや、インド国外で、「インド政府認定」「インド政府公認」などど 
    称する資格を認める制度なども、まったく、あり得ません。
     
    インドでも、一般社会におけるスタンダードな「ヨーガ」のあり方や、
    「ヨーガ教師」の資格基準、また、ヨーガの技法を心身の不調状態の
    改善に応用する「ヨーガ・セラピー/ヨーガ療法」の基準についての
    模索が、ようやく、始まった段階なのです。
    
    インドの外で、インドの現実と関係ないところで、
    「ヨーガ」に対する過剰な期待が暴走し、善良な人々の素朴な
    「ヨーガ」への思い込みが悪用される、ということがしばしば起きのは、
    どうも、世界的な現象のようです。
        
          
        
    ●インド中央政府厚生省のAYUSH局
      
    インド中央政府で日本の厚生労働省に相当するのは
    「Ministry of Health & Family Welfare」です。
    →
http://mohfw.nic.in/
    
    厚生省の中に、1995年に設立、2003年に名称変更になった
    AYUSH局(Department of AYUSH)があります。
    →
http://indianmedicine.nic.in/
      
    「AYUSH」と言うのは、
     A yurveda(アーユルヴェーダ)
     Y oga & Naturopathy(ヨーガ&自然療法)
     U nani(ユーナニー)
     S iddha(シッダ)
     H omeopathy(ホメオパティー)
    の頭文字から取られたもので、西洋近代医学以外の医療体系の
    普及による国民の社会福祉・公衆衛生の向上です。
     
    そのための研究・教育の推進、教育課程のスタンダート化、
    医薬品の承認審査と品質管理、国民の意識向上への活動などを
    管轄しています。
     
    これら医療体系は、通常他の国では「代替療法・補完療法」と
    呼ばれるものですが、インドでは国家が認知した正式な「医学」としての
    位置付け(National Systems of Medicine in India)が与えられています。
        
    これらの「医学」を実践する基礎資格は、5年半の医学教育修了です。
    卒業生は「医師」として臨床をする資格があります。
        
    このうち、
    「アーユルヴェーダ(Ayurveda)」
    「ユーナニー(Unani)」
    「シッダ(Siddha)」の3種はインドの伝統医学・伝承医学で、
    インドにリソースがあります。
          
    「自然療法(Naturopathy)」は自然界との調和とバランスの回復を
    図ることで病気を治療する医療体系で、近代インド建国の父である
    「マハートマ・ガンジー(1869-1948)」が推進したので、インド独立時から
    政府から特別な地位が与えられています。
           
    「ヨーガ」は本来医療の体系ではありませんが、医療への応用も
    期待される分野なので、インドでは「自然療法」との組み合わせで
    推進されています。
       
    「ホメオパティー(Homeopathy)」は約200年前にドイツで成立した
    医療体系で、インドにはイギリスからの独立前から紹介され、
    現在は世界で最も「ホメオパティー」が普及している国になっています。    
      
      
    ●リサーチ・カウンシルと国立研究所
           
    AYUSH局の中には、
    現在4つのリサーチ・カウンシル(Central Council for Research)があります
    (日本語に訳すと「研究中央審議会」「研究中央委員会」になるでしょうか)。
       
    ・Central Council for Research in Ayurveda & Siddha (CCRAS)
    →
www.ccras.nic.in
    ・Central Council for Research in Unani Medicine (CCRUM) 
    →
www.ccrum.nic.in
    ・Central Council for Research in Homoeopathy (CCRH)
    →
www.ccrhindia.org
    ・Central Council for Research in Yoga & Naturopathy (CCRYN)
    →
www.ccryn.org
    
    また、AYUSH局の中には、
    6つの国立研究所(National Institute)があります。
     
    ・国立アーユルヴェーダ研究所(ラジャスターン州ジャイプール)
     National Institute of Ayurveda (NIA), Jaipur 
     →
www.nia.nic.in
    
    ・国立シッダ研究所(タミールナードゥー州チェンナイ)
     NATIONAL INSTITUTE OF SIDDHA (NIS), CHENNAI
     →
www.nischennai.org
    
    ・国立ユーナニー医学研究所(カルナータカ州バンガロール)
     National Institute Of Unani Medicine  (NIUM)
     →
www.nium.in
    
    ・国立ホメオパティー研究所(西ベンガル州コルカタ)
     National Institute of Homoeopathy (NIH)
     →
www.nih.nic.in 
    
    ・国立自然療法研究所(マハーラーシュトラ州プネー)
     National Institute of Naturopathy (NIN)
     →
www.punenin.org
    
    ・モラルジ・デサイ・国立ヨーガ研究所(ニューデリー)
     Morajee Deseai National Institute of Yoga (MDNIY)
     →
www.yogamdniy.com

</引用>

商売の邪魔しているかなぁ?
また、誹謗中傷と営業妨害で告訴されちゃうか(爆)

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2010年2月28日 (日)

青臭い思考ではあるけれど

十代の頃「何のために生きているのだろう」と考えることが多かった。
考えても答えなど見つからない。それでも毎日考えていた。

そんな自分もいつだったかこの絵に巡り会った。
Woher_kommen_wir_wer_sind_wir_wohin

ゴーギャン 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

自分のような小僧だけでなく一流の芸術家も同じように苦しんでいたのだ。
そう思うとなんだか急に気持ちが楽になった。

でも"今"この絵を見ると何も感じない。
それどころか、この"我々"って何なんだろう?と思ってしまった。

画面右下の赤ん坊から左下の老女までが我々の姿を暗示しているのだろうか?
犬や鳥やトカゲは我々ではないのだろうか?
いや、それ以前に何故"我々"という複数形なんだろう?

"私"が産まれ、"私"が去る。
産まれたときも一人であれば、死ぬときも一人。
それでありながら、山羊も私、リンゴも私、木も私であり海も私
赤ん坊として産まれたのは"私の身体"であり、死を迎えるのも"私の身体"
絶対の孤独でありながら絶対の満足。
それ以外に何があるのだろう。

で、何のために生きているかって?

生きる目的など無い。生きるという行為そのものが尊い。
まぁそんなようなものですね。

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何ヶ月ぶりかのプライマリ

最近運動不足だなぁと思う。
沖縄から帰ったらすぐに某スタジオでは土曜の朝が自主練になったから、考えてみると4ヶ月近くまともにアシュタンガのプライマリをやっていないことになるわけだ。

久々にやってみた。
シャラス in TOKYOのDVDに合わせてやってみたけど、順番とか忘れてるよ(^^;
太陽礼拝終わったらもう疲れてるし…
それでもがんばってやったらフィニッシングでは乳酸溜まりまくり(^^;

不思議なことに毎週やっていた頃よりも脱力がうまくいっている。
なんとなく贅肉がついたような気がするわりに身体が深く曲がる。
基本5呼吸という制限があるのでついアーサナの完成形を目指してしまいそうになる。
そうすると筋肉をストレッチさせてしまいそうになる。
"筋肉を伸ばさないようにゆるやかに"という「ハタ・ヨーガのアーサナ(*1)」ではなくてどうしても体操になる。
というか、そもそも運動不足だからと言ってアシュタンガをする段階で体操か(笑)

(*1) <引用 H&H バンコクの仕事 / ロナウラ系伝統的ヨーガ http://hhyoga.blogspot.com/2008/01/blog-post_3386.html >
「ハタ・ヨーガ」の「アーサナ」は姿勢反射による構造バランスと、筋肉のストレッチングによるリラクセーション反応に関与しています。
姿勢反射を向上させる「構造バランス」系のムーブメントはストレッチとは違うものです。むしろ、筋肉は伸ばさないように、ゆっくりと、ゆるやかに、無理なく動く必要があります。
一方では、「アーサナ」には部分的に筋肉のストレッチも含まれます。筋肉をストレッチすると、筋肉内のセンサーが刺激されて、リラクセーション反応が誘発されます。
これは自律神経系に作用するものですから、どの部分の筋肉を伸ばしてリラクセーション反応を誘発しても、全身に作用して、全身がリラックスします。

ですから、賢い「アーサナ」のやり方としては、構造バランス的な動きをよく踏まえて、どの「アーサナ」で、どの部分の筋肉をストレッチして、リラクセーション反応を誘発するか.....という組み合わせがポイントでしょう。

構造バランスが整って行き、全身がリラックスした「自然体」に近付くと、「ムドラー・バンダ」の決まるポイントが分ってきます。

「ムドラー・バンダ」の意味が見えてくると、「ハタ・ヨーガ」の全貌が見えて来ます。

そうすると、「ハタ・ヨーガ」の恩恵を十分に享受する、という段階に入って来ると思われます。
</引用>

久々のアシュタンガで筋肉痛だし甘いものがやたらとほしい。
これってやっぱり筋肉疲労で甘いものがほしいんだよね?
某サーティファイドティーチャーが「たいやき」食べるのを我慢して、たい焼き屋の前でよだれを垂らさんばかりにしていた。という話を聞いたけど

馬っ鹿じゃねーの

その苦行ルールって何かいいことあるの?
おいらの求めるヨーガは「毒を喰っても、その毒を死滅させる」だ。
言い換えると「ストレス社会でストレスに負けない生き方をする」でもある。
なので「自分でストレスを作ってそのストレスに苦しむ」ってのは"苦しみを耐えている自分"てーのが好きなMなんじゃないの?

ま、おいらもこの筋肉痛が嫌いじゃないってとこでおんなじなのかもね(w

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あ~うざい(笑)

お昼12時の少し前、たまたま入った店で言われた言葉が
「その席は2時までですがいいですか?」だった。
「12時でなくて2時?」思わず聞き返したら
「うちの店は2時間や3時間いるのはざらだから(笑)」とのこと。

注文したのは99%の人が満足するという『ライス、ナン、スープ、チャイ、おまけに料理食べ放題。残ったらお持ち帰りもOK』という"おなかペコペココース(1人千円)"を注文した。

席についてすぐ「アールグレィね~」とコップに暖かいお茶を出してくれる。
ご飯(インディカ米)とカレーっぽいスープが出てきて「ガンバッテ~」と言われる「ん?」
肉料理、豆料理が乗ったトレイを渡される「ガンバッテ~」
漬け物のトレイを渡される「ガンバッテ~」
サモサが出てくる「ガンバッテ~」
ナンが出てくる「ガンバッテ~」
いい加減なサラダという名前のサラダが出てくる「ガンバッテ~」
ケーキに見えるけど実はサラダね「ガンバッテ~」
トマトジュースになんとかが入ったジュースね「ガンバッテ~」
「ハヤクダベテハヤクカエッテネ、ガンバッテ~」

F1010113_3   

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F1010120 

どんだけ出てくるんだ!

「オネェサン、チョット、コレキテ」なにやら民族衣装をお客に着せる店長
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「ミテミテー、 シャチョウナニミテンノヨ(笑)」
「ソレキテ、リョウリハコンデネ」

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その他セクハラトーク爆発の店長

なんじゃ、この店(笑)
いつものネジカフェ裏カンファレンスもこういうとこでやりたいなぁ。

ってことで後でネットで検索したら有名な店だったのね。
店長がうざいので有名だったんだ(笑)

夜8時からはベリーダンスもやっている

こっちのビデオだと「カカッテコイ」だってさ(笑)

いつか夜の部に行ってみようっと。

webサイト
http://zakuro.oops.jp/menu/menu.htm

インタビュー
http://www.arakawa-unet.jp/issue/0802_2/index.html

blog
http://salamzakuro.blog48.fc2.com/

mixi
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3924385&guid=ON

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2010年2月21日 (日)

どないせいと

マルマ・ヨーガご一行様がバリ島から帰国されて、お疲れ様でした。
すんごく疲れた人は 本当にお疲れ様でした。
# ざまぁ… なんて思っていません、本当です(笑)

んでもってNさんより「おみやげがあるよ~」と招集がかかったので戴きにあがりました。
んでもってそのおみやげというのが伊藤武先生が選択してくれたという これ↓

Photo_2

「SEHAT PRIA」と「HERBAL PRIA」

Google翻訳で「インドネシア語→日本語」に翻訳してみたらこんなん出ました。
  SEHAT(健康) PRIA(男)
  HERBAL(ハーブ) PRIA(男)

漢字でもなにやら妖しげな文字が(笑)

梶高机体免疫力
増強男性性行為
  此配方造用子

だいたいパッケージが「鹿の角(キラーン)」って何よ?
もう一つのパッケージはなんの絵だかわかんないけど、どうせオットセイのイチモツとかのたぐいだよね。

いやいや、おいら伊藤先生みたいにこんなの使わなくて大丈夫だし(笑)
ムーラダーラチャクラ活発だし(笑)
こんなん使ったらもてあましちゃうし(笑)
これをくれたNさんは「面倒みない」って宣言するし(笑)
かといって伊藤先生に面倒みてもらうのも…

試してみようかなぁ(笑)

いやいや、こういう時こそアバターのシュリリンちゃんをデリバリーしてもらおうっと(爆)

PS Hさんからもらったおみやげ、お菓子のたぐいかと思ったけど総菜パンのようでびっくり!
   カレーっぽいスパイスでなんかすげ~旨かったっす。

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2010年2月19日 (金)

ひとりごはん

谷中のカレー屋さん、右端に三種類のスパイスがサーブされた。
加減がわからず火を噴いたヽ(゜▽、゜)ノ

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